「実践酪農学」の記録


「実践酪農学」の記録

【1】放牧酪農について  佐藤智好氏(足寄町酪農家)

【2】教育ファームについて  広瀬文彦氏(帯広市酪農家)

【3】専門農協の取組  野名辰二氏(サツラク部長)

【4】都市近郊酪農の実践  百瀬誠記氏(江別市酪農家)

【5】酪農における男と女の役割  石橋榮紀氏(浜中町農協代表理事組合長)

【6】無畜舎酪農と季節繁殖  出田基子氏(清水町酪農家)

【7】酪農地帯における畜産加工  岡田ミナ子氏(白滝町酪農家)

【8】酪農支援の取り組み  中野松雄氏(鹿追町農協常務理事)

【9】酪農生産法人の歴史  白石康仁氏(卯原内酪農生産組合部長)

【10】農業後継者支援策  山下光治氏(北海道担い手センター)

【11】農場の設計手順  船本末雄氏(北海道農業協同組合中央会)

 
酪農における男と女の役割
 
JA浜中
ただいまご紹介いただきました、石橋です。こういう風に大勢の皆さんの前で話をする今日の内容が、果たして聞くに耐えられるかどうかちょっと心配な部分もあります。頂いたテーマが「酪農における男と女の役割」ということでございますが、その前に、私のバックグラウンド、バックデータについて、ちょっとお話をさせていただいて、その後で本論に入りたいと思っております。
<地域交流教育交流協定>
先ほどご紹介ありましたように、今年の2月に当大学と浜中町とが地域交流教育交流協定というのを結びまして、現在2名の学生さんが我が町に来て、勉強と研修実習を一生懸命やられています。この協定によって、当大学と浜中町とが、人間の交流や位置的交流を行い、お互いによりよい関係になり、よりよい地域づくりができれば大変幸いです。
先ほどご紹介ありましたように、霧多布湿原は植物の研究をする先生方にとっては、すばらしい湿原だそうです。私どもは、日常的に歩くもんですから、あんまりそういうかんじはいたしませんが、今年はちょっと寒いので遅れておりますけれども、後1週間もいたしますと、霧多布湿原がワタスゲに覆われて一面真っ白になります。天気のいい日は、ワタスゲわっと開くんですね。そして夕方になるときゅっとしぼんで、また元の静かな湿原に戻る。また次の日太陽がでたら、ぱーっと開くんです。ワタスゲが終わりましたら、今度はエゾカンゾウですね。真っ黄色な花が、湿原いっぱいに広がって咲きます。そういう湿原がある浜中であります。どうか、これからもお付き合いいただきたいと思います。
<牛乳のトレーサビリティーシステム>
浜中町の農業は酪農しかないとこですから、酪農に関する全てのデータを分析する分析センターを、昭和56年に開設いたしました。それ以来、浜中町の土地、牧草の栄養、さらには201戸の酪農生産農家からでてくる牛乳やそこで飼われている22,000頭の牛のデータも全部ここに集まっております。これは最初からそうだったわけではないんです。
昭和56年にできたときは、土と餌と、それから繁殖の情報しか入ってなかったんですが、BSE という忌まわしい病気が9月10日に日本で発見されて、てんやわんやになりました。そのときに、農水が牛個体の履歴をわかるようにしないといけないということで、耳標システムを開始することを10月24日に決めました。その情報を得まして、27日に、その耳標システムを使って牛乳のトレーサビリティーシステムを作るから、金くれという話を農水にしました。おかげ様で、補助金を大枚いただきまして、今のシステムを全部作り上げたんです。そのときに、その管理番号を取り入れまして、乳検事業や授精事業、それぞれ牛が持ってる個体能力を全部ひっくるめた浜中町の酪農を作っている全てのデータが、この分析センターで管理されております。ですから牛乳のトレーサビリティーというのは極めて難しいとされておりましたが、全国で最初にできるようになりました。
牛乳ですからね、1頭1頭というのはちょっと難しいです。最終的には酪農家のバルククーラーにその牛舎の分が全部貯められて、ミルクローリーが吸い上げて持っていきます。そのときに他の農家のも全部入りますから、タンクローリーの中に入った分で、どこの農家とどこの農家が入っているから、この牛乳はこういう牛から搾られた牛乳である、ということを管理するわけです。そして、さらにその牛がどんな餌を食べたのか、どんな治療経歴があるのか、あるいはいつお産をしたのか、そういうこと全部ひっくるめてわかるようになってます。
イトーヨーカドーにその牛乳が並んでるんですが、パッケージにHP のアドレスが書いてありまして、そのアドレスにアクセスしますと、この牛乳はどこの農家から搾られた牛乳かということがわかりうるようになっております。
牛乳のトレーサビリティーシステム
<浜中で生産される牛乳>
私どものところは201戸の生産農家で、昨年の牛乳生産乳量94,000t になります。実はハーゲンダッツのアイスクリームの原料は浜中の牛乳で作られています。それで、浜中の牛乳の94,000t のうち、90,000tはハーゲンダッツの原料になってるんです。ハーゲンダッツの250円のアイスクリームが、毎日26万個作られています。そういう量が90,000万tという牛乳の量だという風にわかっていただければと思います。ハーゲンダッツのアイスクリームを食べるときは、これが浜中のミルクか、という風に思っていただけると大変 私は嬉しいと思っております。
農家の牛乳と、牛を販売する浜中町農協の販売高は、80億なんですね。ところが、ハーゲンダッツジャパンは400億売るんですよ。これは我々もですね、将来は加工に目を向けていかなくてはならないのかなと思います。ハーゲンダッツに生クリームとして売ってる方が無難かなとも思いますけども、酪農家の皆さんは自分の生産した牛乳で何かを作って自分で売りたいという思いがあるんですね。もうすでに、チーズを作ったり、アイスクリームを作ったり、ファームレストランで自分のとこで搾った牛乳を飲んでいただくというようなことに取り組んでいる組合員もでてきました。この芽は、たぶんこれからもどんどんでかくなっていくと思います。地産地消とまではいきませんけども、自分で作ったものを自分で売りたいという思いをチャレンジすることが重要だと思います。やりたいことをどうやったら実現できるか、きちんと組み立てていけば、私はできるものだと思っておりますので、大変難しい時代ですけども、みなさんチャレンジしてもらいたいと思います。
<研修牧場>
研修牧場も、全国で最初に作りました。研修牧場の卒業生は22名で、そのうち11名が浜中町で新規就農しております。他の11名のうち4名はヘルパーから転入組で、研修牧場に入る前に、いろんなところで研修をしていた人もおります。なぜか出身は関西が多いですね。道内出身者はたったそのうち3人しかいないです。関西人は辛抱強いですね。それに、ケチというか、お金の使い方が上手ですね。就農するまでにちゃんと研修牧場でもらった給料貯めて、自分の経営を確立します。軽トラを10年間乗るんです。私の地元の後継者はだめですね。最初から大きい車を親に買ってもらって、3年くらいで事故って新しいのを買うなんてことやります。でも研修生はしっかりとして、いつか自分の城を持ちたいという思いで研修してます。ですから、努力している最中は、やっぱり明るくわき目をふらず努力するということも大事だと思います。
<哺育・育成牧場>
哺育・育成牧場、通常後継育成牧場といわれるものがあります。ほとんどが自治体経営ですが、浜中町は貧乏で、役場がやろうとしませんでしたので、農協が始めました。昭和48年に始めたんですが、当時はお荷物の事業でした。常に毎年赤字が続く牧場で、自分の農場に余裕がある組合員からは、そんな赤字の牧場やめちゃえっていう文句が随分あったんです。しかし、最近では様変わりしました。
私共は哺育の段階で買戻し特約システムというのをつけまして、自分のところで生まれたら、牧場に買ってもらうんです。それで、その牛が妊娠して、8ヶ月くらいになったときには、今度は初妊牛として帰されるんですね。そのとき牧場主は、我が家で使えるか判断して、買い戻しすることが出来ます。必要ないと判断すれば、買わなくてもいいんです。そして、いらないといわれた牛は育成牧場で売るんですが、32万あればもとがとれるところ、50万で売れるんです。そんな牛を800頭抱えてたら、赤字には絶対ならないし、黒字にならないわけがないんです。だから最近の育成牧場は、12事業所の中で、上から3番目の稼ぎ頭なんです。この事業所だけで年間3,000万の黒字を生むということで、今ではドル箱の事業所になってしまいました。
<中山間地区直接支払い制度>
中山間地区直接支払い制度っていうのが5年前に発足いたしまして、我が浜中町もその恩恵を受けることになりました。多額のお金が私共のところにくるようになりましたので、これを使っていろんな整備をやりました。まず最初にやったことは、酪農家全戸のトイレを水洗化したんです。家庭から出る汚水、お風呂からでる水、それからトイレも全部一ヶ所で処理をして自然に帰すという、合併浄化槽を全戸につけました。
それから、環境保全をやろうということになりました。浜中もどんどん時代が変わりまして、新しい建物が建っています。そのときに、前に作った古い建物や、小さなサイロが残っているんです。それはそれで1つの景観として使えるものではありますけども、中には、屋根のトタンが飛んでみすぼらしい思いをしている状況もあるんです。それを、組合員の皆さんから申し出があったものは全部、この事業で処理しました。ですから浜中町に来られると、使っていない建物というのはほとんど見えないと思います。
<緑の回廊>
浜中町は草地が約1万5,000haあります。これも、国内総合農地開発事業で、国の補助事業で草地開発していったんです。でも、どうせ補助事業だから、急な傾斜のところも畑にしてしまおうとやってしまったために、いざ作ってみると危なくて作業ができないってところや、湿地が乾いているところもいっぱいあったんです。その土地は使われないで放置されていたんですが、景観作りに活かしていこうということで、自然再生事業というのをやったんです。これを緑の回廊という風に名づけて私共は取り組んでいます。
昔、浜中には蛍、セミ、いろんな蝶々、トンボがいました。リスやキツネもいっぱいいました。でも開発が進むにつれて、そういう動物がどんどんいなくなったんです。今いるのはエゾシカばっかりなんです。エゾシカは増えすぎて困ってますから、今は駆除の対象になってます。昔いた小動物がほとんどいなくなってしまいましたので、昔の自然を取り戻そうということで、使われなくなった傾斜地や湿地などにどんどん木を受けました。カラマツやエゾマツもありますけども、できるだけ広葉樹を植えようということで、柏やナラの木を受けました。また、花も見たいと言って桜を植えました。
そして、緑の回廊の組織に使われる土地は登録をしてもらっています。現在登録地は800haあります。たぶん酪農学園大学の5倍か6倍の土地です。そこに全部木を植えました。今浜中町内に点在してありますが、木を植えてつなげていくと、リスが渡って歩けるようになるんじゃないかと考えています。
<農協の通信簿>
酪農学園大学の先生方にもお手伝いいただいて、中長期計画というのを作りました。そのときに、荒木先生から提言ありましたけども、農協の、いろんな事業の見直しをやったらいいんじゃないの?というご提言を受けまして、農協の通信簿というのを昨年から取り組んでおります。今農協がやってる事業が、組合員や職員にとって満足のいくものなのか、あるいはそれがきちっとした仕事をしているのかどうか、点数をつけて評価をしてみようということになりました。北海道内でも123の農協があり、全国で言うと、約1,600くらいの農協がありますが、その中で、浜中が最初に取り組みました。
浜中町農協の組合員構成の、初代、2代はほとんどいなくなりまして、今3代目4代目、早いところでは5代目なんです。5代目になりますと、私は60代ですが、孫の世代の人たちが組合員になってくんです。そうすると、話がかみ合わないんです。これをこのままにしておくと、農協があってもなくてもいい組織になってしまうと感じたんです。現実に、農協が本当に存在できるのか、必要なのかどうかというのが、問われる時代になっています。私はそれを最初に感じましたので、組合員の皆さんに、何が悪くて何が良くて、どこをどう変えていけばいいのかを評価してもらおうと始めました。その評価に従って、1つ1つ改善していこうと考えたんです。
1年目は散々な評価をいただきましたね。1番評価が悪かったのは、共済制度、いわゆる保険事業でした。保険事業は、一斉推進といって、無理やり推進するんです。組合員のところに連合会の職員が2人と担当職員が行って、寄ってたかって、これに入らなかったら、あんたが亡くなったときに、奥さんと子供はどうするんだみたいなことで脅しをかけるんです。俺はもういいよと言われても、強制的に加入させていたんです。これが1番不評だったんです。だから、私どもはすぐ止めました。そして、必要な人に必要なものに入ってもらおういうことで、担当者がそれぞれの家庭の中でライフプランを立て、推進するやり方にしました。だけど、あそこのうちにお嫁さん来たけど、お嫁さんのはまだは入ってないな、というのがあるんですね。そういうのを1つ1つ洗い出ししながら、その家、その人に合ったものを提案しました。そしたら、一斉推進したときよりも成績上がったんです。事業というのはそういうものだと思うんですね。ニーズがあるとこに売り込めば、ちゃんと物は買われるということですね。このとき、担当職員は、強制的にやって恨まれるよりは、納得して売る売り込みの方が喜ばれて、成績も上がるってことに初めて気がついたんです。
1年目は、事業評価は職員にとってはつらいことだったわけですが、2年目からは、職員の意識が変わりました。よし!俺のところもちゃんと評価してもらおう、何が悪いんだ、どうすりゃいいんだ、どう変わればいいんだ、ということを思うようになったんですね。
今ちょうど2年目の通信簿が先日5月18日の総会に組合員に手渡されました。評価するのは全員じゃなくて、組合員から選ばれた人しか評価できないんですが、それを見た組合員は、この評価高すぎるんじゃないかとか、この評価意外に低いけど、もうちょっと高くてもいいんじゃないか、などの声を皆さんがくれるようになったんです。今まで20代の組合員が声をかけるなんてことありませんでしたが、事務所で顔をあわせるときには、組合員が「組合長、あそこの評価、俺はこう思ってるんだ。担当の職員が一生懸命やってると思うけど、どうも空回りしてると思うよ」というような話をするようになりました。コミュニケーションができるっていうのは、1番大事なことだと思います。
農協の通信簿は全国で初めてやりましたが、2年目を迎えて、どうやら定着しました。中長期計画が5年間続けてやるので、あと3年間やります。その後はどうするかはそのときになってから考えりゃいいと思いますが、たぶん5年経つとですね、改善点はたぶん3割くらい上昇していくと思います。それでも100%になりませんから、その後また別な試験でやっいけばいいなという風に思っております。
<牛乳生産量>
日本の酪農乳業の動向と、北海道酪農の動向、あるいは将来の役割についてお話したいと思います。今の現実の数字と、3月に発表された、酪農肉用牛近代化計画についてご紹介したいと思います。
現在の国内の生産量は、約840万t あります。一方消費量は1,232万t あるんです。残りの約390万t は輸入されております。390万t のうち、7割はチーズです。脱脂粉乳やバターはほんとにわずかありません。じゃぁ国内の生産量840万t はどういう風に使われているかといいますと、飲用牛乳として約500万t、それからハーゲンダッツの原料になる生クリーム、あるいは発酵乳やチーズも若干あります。それが125万t です。それから北海道で1番多く作られる脱脂粉乳とバターになるもので211万t 使われているんです。北海道が加工原料乳地帯と言われる由縁はここにあるんです。
北海道が、840万t のうちの386万t 生産しているんですが、そのうち、飲用牛乳は105万tです。これは北海道内だけではなく、北海道からパック詰めされて、本州に送られるものも含めた値です。それから、生クリームやチーズなどが、99万t から100万t。そして、特定乳製品いわゆる加工原料乳として使われるのが182tです。
このように、北海道は今386万t の生産量があるのですが、これが10年後の平成27年について国が示したデータでは、この386万t を500万t にしてほしいという風に言っているんです。500万t ということは、30%増やせということです。北海道の農作物の中で、増産を期待されているものは、花や野菜にもありますけど、30%期待されてるものは牛乳しかないんです。つまり、北海道の酪農は少なくとも、向こう10年間は、もっと一生懸命頑張って生産してもいいということです。そういうのは、酪農学科で学ぶ皆さんは、直接酪 農に携わるかどうかは別問題として、酪農という産業が北海道で期待の産業である、期待の星であるということを、是非しっかりご理解いただきたいと思います。
浜中町も今9万4,000t 生産しています。浜中で30%増やすというのはちょっと至難ですね。でも、少なくても10万t は目指そうという風に思っております。
しかし、ときどき関係新聞にでるかと思いますが、需要と供給の上では、若干の問題が生じております。いわゆる飲用牛乳の消費も伸び悩んでおりまして、そのために、脱脂粉乳やバターの材料が少しずつ増えてきています。今年3月に決まりました国の政策や価格の中で、それが大変な重石になりまして、すべて昨年よりは下げられました。このことさえ回避していけば、北海道酪農はまだまだ安泰、明るいということが言えるんだと思います。ですから飲用牛乳の消費拡大というのが当面の1番の課題になると思っております。
ただ、北海道500万t はいいけども、ほんとにそんなことできるかいなという思いもあるんです。デイリーマンの6月号に書いたんですが、日本の乳牛がどんどん減ってきているんです。平成17年の2月、全国の統計調査の数字では、165万頭までいっちゃったんです。わずか2年前に169万頭だったんですよ。平成27年162万頭の牛が本当に日本という国の中に生きていられるかどうか、そういう懸念が大いにあります。だとすると、先ほどの酪近計画に、500万t という数字を目指すわけですけども、ほんとにできるかいなという思いがあります。
皆さんご存知の通り、ホルスタインの腹から生まれる赤ちゃんは、メスは全部乳牛として飼われて、牛乳生産に一生懸命携わってもらうんですね。ところが、そのホルスタインの腹から生まれる牛は、ホルスタインとは限らないんです。いわゆる黒毛和種をつけたF1も生まれますし、受精卵移植して、和牛も生まれます。和牛の受精率が、北海道でだいたい15%か16%です。全国で言うと約34%くらいあるんです。つまり、3分の1はホルスタインではない牛がつけられてるんです。そうしますと、残りの7割のホルスタインの雌から生まれる牛だけで、将来をホルスタインの頭数が維持できるかというとこれは無理なんです。だから、私はデイリーマンでちょっと苦言を呈しておりました。この酪近計画について、議会の先生方にお会いしたときに強く文句を言ったんです。先生、あの懸案おかしいよ、と言ったんですが、これは努力目標ですから、そう言わずに、酪農家の皆さんに頑張るように言ってください、って言われたんですが、私は難しいなっていう風に思っております。
<酪農における女性と男性の役割>
それでは、本題に入りたいと思います。酪農における、女性と男性の役割についてです。私共の組合員の、家庭にいる成人女性、全員にアンケートをいただいたんです。酪農家には、おばあちゃん、息子のお嫁さん、それからその下の娘さんも生活してるかもわかんないんですね。ですから、その家庭に成人の女性が3人いるんだとしたら、その3人全員に1人1人にアンケート調査をお願いしたんです。そうやって集めたデータが約380です。回収率が80%でした。酪農学園の学生さんにお手伝いしていただきました。ローリーが牛乳集めに毎朝組合員のとこに向かうので、助手席に乗っていただいて、回収をしていただいたんです。その回収したものを、分析をしてまとめたものがこのデータなんです。その中で、浮き彫りになったことがいっぱいあります。それを少し紹介さしていただきます。
1.女性の労働荷重
酪農家の女性は、搾乳、餌やり、哺乳は当然として、そのほかにも、授精するときの種牛の選び方や、授精適期かどうかの判断もやってるんです。それから獣医の治療のときも、ほとんどの家庭では、奥さんが対応されてるんですね。平均的な数字でいうと、仕事をする時間が10時間もあるという女性もいるんです。家事労働はそのほかに3.4時間くらいあって、1日13時間か14時間は働いてるとして、あと寝る時間が7時間8時間だとすると、自分の時間は2時間なくなっちゃうんですね。そういう状況の女性がいる。これを組合長なんとかしてください、という声がいっぱい寄せられたんです。だから、ヘルパーやコントラクター、それから哺育・育成事業の強化を行いました。それによって、奥さんが自分の時間を作ったり、家庭の中の時間を作ったりできるように行いました。
2.離婚について
この調査の中に、「あなたは離婚を考えたことありますか?」という項目があるんです。これは男にとって実に恐怖だったんです。その中で明らかになったことは、40代の女性は、7割が離婚を考えたことがあるという回答をのせたんですよ。これ大変なことです。20代30代はわりと低く、40代超えて50代60代になってくると、あきらめも入るのかもわかりませんが、離婚に対しての回答は、ずーっと減ってくるんです。女性が40代というと、男性はだいたい40代50代ということですね。その年代では、社会的な役割を果たさなくてはならず、PTA がある、地域の自治体活動がある、農協のなんとかがある、などと言って、男は理由をつけて外へ出たがります。そして家の中で奥さんは牛のことが心配なんです。私がやらなかったらあの牛たちがかわいそうだという思いを持つんです。男は逆なんです。まぁそのうちに、という思いで、なかなか帰りたがらないんです。ですからそういう点で、自分の夫に対して不満があったんです。それがその70%っという数字になってあらわれたということになります。
もう1つ大事なことは、20代30代、あるいは50代60代になりますと、男性が家事を分担して手伝ってくれてるんです。そして、家事を手伝ってくれる家庭の、男性に対する評価は極めて高いんです。ですから、これからの男性、今日も多くの男性の皆さんがおりますけども、家事の分担は当たり前という風に思っておかないと、案外奥さんは厳しい目でみられているんじゃないかなと思います。私は、30年前にアメリカ旅行をしたときにファームステイをしました。そうしたら、夕食後の後片付けを、ご主人も一緒になってやるんです。家庭の中で男が、夕食の片づけを一緒になってやるなんてことは、30年前ありえませんでした。カルチャーショックでした。
3.海外研修
うちの農協は、5年間にわたって女性の組合員家族を、海外研修にやろうということで、去年第一弾30名をニュージーランドに送り込みました。同行者も農協の女子職員で、彼女たちもファームステイをしたんです。去年行った方々は、40代50代が多かったんです。彼女たちが帰ってきて「組合長、向こう行ったら旦那さんが家事ほとんど手伝ってるよ」と、びっくりしたような顔をして言って、うちの旦那にも見習わせなくちゃという話がでました。これから4年間やります。合計で150名予定しているんですが、この5年間のうちでどっかで行けるところを自分で決めて準備をしておきなさいと言ってます。そして、いろんな女性が外へ出ていろんな体験をすることが、男の人にとっては困るかもしれないけど、本当は当たり前なんだと思うんです。ですから酪農における男と女の役割というよりは、日本社会における男と女の役割というのは、今変化をしていけると思うんです。
4.女性の身体の特徴
日本も、男社会が形作られたのは武家社会以後です。女性を押さえ込まないと武家社会が成り立たないという思いで、日本の近代は、女性を恐れているがために、押さえ込むことによってずっと成り立ってきたんだと思います。でも最近は、それではだめよ、おかしいよということになって、法律も作られました。でも法律がなくても、日本はどんどん変わっていくと思います。現実に、皆さんの家庭はどうですか? 親父亭主関白でっておうちどのくらいいますかね? たぶん2割いないじゃないですか? やっぱり家庭運営はお母さんだよ、という家庭が大方だと思います。現実に日本の家庭はそうなってるってことです。それは酪農経営も同じです。
その理由は、女性のからだの持ってる特徴だと思います。これは、男性は経験したくても絶対できないことなんです。まず女性には月経があります。男は鼻血はだしても、月経はありません。それから、性体験をすることがあります。男の性体験と女の性体験は、完全に異質なんです。それと、出産というのがあります。これも男は経験できません。女性というのは、そういう体の持っている特性の上で、体験をすることによって、たくましいお母ちゃんになるんです。赤ちゃんを産むときに、ものすごく感動する産み方をする女性は、ものすごくたくましくなります。なぜかというと、1つ1つの体験をすることによって、その体験が自分の体の軸になって、きちんと、女性の中に備わっていくんです。ですから、しつけはやっぱりお母さんができるんです。男のしつけはその場しのぎなんです。お母さんの場合は、自分が体験したことに基づいているんです。だから、女性は子供をしつけることができるんです。それは、酪農経営の中にも現れてるんです。男は機会好きですから、トラクターなどでも新しいものに乗りたがるんです。でも、古いものを大事に使う、いいものを大事に使うという感覚が、女性の方に強いです。
5.コミュニケーション能力
コミュニケーションは女性の方がすごいですね。女性はおしゃべりといいますが、おしゃべりじゃないです。私はあれはコミュニケーションがあると思うんです。1つの例で申し上げますと、まぁたとえばこの中長期計画を作ったときに、女性の方から、「私たちが発言する機会を作ってくれなかったら、なんぼ私たちが思ったって組合長に届かないじゃないですか」とこういう発言がいっぱい出ました。ですから、女性だけの地区懇談会というのを、おととしから始めたんです。今までは男の組合員だけの地区懇談会というのをやってきたんです。そして、農協がやってきたこと、今年やろうとしてるところなどを話していたんですが、家庭の中にはほんのわずかしか伝わっていない。息子にも、奥さんにも、親にも伝わっていないんです。ところが、女性の懇談会を始めましたら、息子夫婦、親父、おじいちゃん、おばあちゃん、家族全員に伝わっているんです。ですから、たとえば搾乳の技術講習会をやるっていったら、今までは親父が暇つぶしにでてくるようなものだったんですが、それでは乳質改善は進まないんです。そのときにご夫婦で来てください、あるいは奥さんだけでもいいですから来てくださいという話をして、女性に聞いてもらいますと、女性は帰ったらすぐ取り組むんです。そして、それを家族に伝えるんです。
6.女性と男性の役割
酪農に限らず、社会を構成する女性の役割、男の役割があると思うんです。そして、その役割を、意識的にきちんと感じてやってるかどうかが重要だと思います。また、そういう女性に、しっかりと子供を産んで子供を育てていただければ、日本の将来は明るいと思うんです。
少子社会と言われていますが、でもその少子社会の中でも不幸な事件がいっぱいあるんです。子供さんたちが、事故にあったり、事件に巻き込まれたり、そして若い命を絶つ、そういうケースが昨今多いわけです。私は、それを守るのはやっぱり母親だと思うんです。そういう母親になるためには、自分が体験してきたことを、大事に思うのも必要じゃないかなと思うんです。そうやることによって、子供のしつけもしっかりできると思います。そして、日本に生まれてよかったと思える子供さんたちをしっかり育ててもらえれば、将来その子供たちが俺も酪農やりたい、あたしも酪農やりたいと思って、浜中に来てもらえれば、浜中は研修牧場でいつでも受け入れ致しますのでですね、是非来ていただきたいなと思います。
最後に、男性はやっぱり女性に頼ってる、あるいは助けられてるんじゃないかなと思います。男が女性にゆだねる勇気を持つのも大事じゃないかなと思うんです。ゲーテの言葉で、「永遠の女性なるもの、我らを高く導く」というものがあります。
日本は本来女性社会だったんです。それが武家社会のときに転換しました。でもやっぱり違うなっていうことで、少しずつ変わってきていると思います。でもその流れを、我々が大事にしながら、よりより社会作り、日本作りのために、しっかりと受け入れて前に進んでいければいいんじゃないかなと思っております。
無畜舎酪農と季節繁殖
 
出田もとこといいます。清水町で酪農をしています。ホルスタインが140頭ぐらいいます。今、お産の最中で季節分娩で春にお産をさせるようにしているので、帰ったらまた増えているかもしれません。
<学生時代>
出身は岡山県、岡山県出身の方いますか? いませんか? あっ岡山? どこですか?「岡山市内です」市内ですか、あぁうれしい。私は岡山市内、後楽園の近くで生まれて育ちました。家は普通のサラリーマンの家庭で普通に小学校、中学校、(中学校のときにね、成績優秀で親は鼻が高かったらしいんですけども、)高校まではちゃんと普通の進学校に行きました。で、高校に入って友達が卓球をしてたんですね。で、その卓球をしている友達と卓球部を見に行きました。そしたら彼女も卓球をしていたんだけれども球がもうラケットに全然あたらないのね。あっ!これなら私にもできるんじゃないか?と思って卓球部に入りました。そしたら卓球の虜になってしまって、で、なんていうのかな? 運動神経はそんなによいほうではなくて、苦 手だったんですけども卓球を始めて、トレーニングする、走る、球を打つという訓練を毎日していくうちに、できないことができるようになった。その快感ですね。試合にも出て、勝てるようになる。で、高校3年の前半まで卓球に明け暮れました。気がついて3年生の一学期の試験を受けたら、えっ? こんなんじゃ、大学には入れないよ!という成績で愕然として、で、卓球で仲間も増えたし、いろんな経験もさせてもらったしスポーツってものすごく自分を鍛えることができよかったです。けども、じゃ、どうしよう。3年生後半から必死で勉強しました。で、大学にはいってもやっぱり卓球をやりたいという目標を持って、受験して地 元の岡山大学に入りました。大学に入ってもまた卓球に明け暮れて、1年生の時からレギュラーになって、大学対抗にも出ましたし、全国の国公立大会で、全国優勝団体でしたのかな? 高校と大学は、私、卓球人生でした。
<結婚>
その卓球をしているときに、ふっとこっちを見ている視線に気がついたんですね。おんなじ卓球部の中の先輩に出田義国って言う人がいました。出田っていうのはめずらしいでしょう? 熊本出身なんです。九州、熊本出身の人います? 熊本の方なら出田って聞いたことあるかもしれなけど、出入り口の出に田んぼの田って書いて出田ってすっごい読みづらいし、呼びづらい。その先輩が練習相手になってくれました。で、強くなるには、私は運動神経が鈍いし、人の倍は練習するんだっていうことで、大学に入ってからも早朝練習、終わってからも最後まで練習してました。その相手をしてくれたのが夫だったんですけれども。話をしていると自分の牧場を持ちたいっていうのが彼の夢でした。私は農業とは無縁の生活をしていましたし、農 業って言うのは先祖代々の土地を持ってそこを耕している人が農業っていう職業をできるんだと思っていましたから、自分が農家をやれるとは思っていなかったんですね。彼は牛飼いになりたい。農業じゃなくて牛飼いになりたいと言いました。牛飼いになりたい私も動物が好きだったし自然が好きだったから、これは面白そうだなぁと思ったのが今ここでこうやって話している酪農家をやってるきかっけになりました。そして彼が卒業して、私も卒業して結婚ですけども、最初は岡山ですから岡山の県北のミカモ村っていうところに和牛の繁殖をやっているところに一応、就職したんですね。で、自分でやりたいって言っても学生だからお金は全くない。で、そこのミカモ村っていうところの山の一角でも借りて、まず和牛を飼いたいなぁと思ったけど牛一頭も飼えない。あっ、牛飼いするのは牛を買うお金がいるんだってそのときに初めて気がついたんです。やぁ、資金を作らなければどこいっても相手にしてもらえないし、っというのでそこを辞めて、町へ2人で出て、資金作りを始めました。
<資金作り>
で、2人でね、町で働いて資金作りをするっていってもなかなか貯まらないよね。で、最初にがんばってがんばって2年くらいかけて30年前のだから、30……もっと前かな? 50万くらい貯めてそれを頭金にして家を買って、で、値上がりを待ったんです。したらその当時ね、400万だった家庭住宅が850万になったの。倍になったの。2年住んでローン払って、あっ、このくらい入れば自己資金になるかなっと思って、で、行ってローンを返して、で、その残りでどっか探したのね、岡山とか九州とかね。だけどその家が値上がりした分、全国、日本全国の、わかるかな?田中角栄の列島改造でね、日本全国の土地が暴騰してたのね。で、少々の金では買えない。で、なかばあきらめてブラジルに行こうかなぁと思ってた頃に北海道に来てください、っていう話があって、北海道の清水町に来ました。そしてその牧場で2年間人に使われて牛を飼ってたらね、自分がこうやりたい。こういう成績を上げたくてもなかなかね、思うようにさせてもらえなくて、それで、はぁ、自分でやるしかないっと思ったときに離農するって話を聞いてそこを見に行きました。まだね、ずいぶん雪が降ってる、あの、積もってるときで、ホントにもうね、山深いところだったんだけれども、そこを見て夫はこれはね、酪農に最適の地と直感したと言いましたよ。で、今、今日まで28年間経ちました。ホントにね、面白くて楽しい牧場作りです。えっと、どんなところかっていうのをビデオでちょっと見てもらいたいと思います。
<ビデオ紹介>
『清水町に住む出田義国さんは130頭の牛を飼う酪農家。九州、熊本県出身です。広大な牧場での酪農を夢見て16年前に移住してきました。出田さんの酪農は牛舎を使わずに牛を飼う無牛舎酪農です。牛は搾乳の時を除いて、厳しい寒さが続く冬も吹きさらしの放牧地で過ごします。立派な牛舎を使った近代的な酪農とは正反対なやり方です。それでも、牛一頭当たりの年間の搾乳量は全道平均を大きく超えています。牛はもともと寒さに強い動物です。それなら牛を狭い牛舎に閉じ込めずに広い放牧地で自然のまま育てたい。そんな出田さんの思いが広大な十勝の大地でようやく実現しました。「十勝にはね、そういう可能性がまだ残ってたわけ。日本の中でもね。で、自分でやり始めて15年たった今、だいたい自分でね、考えてきた、酪農を、やれるよな。」気の遠くなる程、道は遠かった。やっと2人の農地を得、職業は農業です、っと誇らか言えるようになったのは12年が過ぎていた。子育てと牛飼いで精一杯だった。でも、他に何がいるだろう? 牛が増え、ますます忙しくなるばかりだけれど、2人でこれだけのことがやれるという誇りと満足感と共に、まだ今からやりたいこともいっぱいだ。こんなにおもしろ い生き方が他にあるだろうか?「十勝に来たおかげで、こういう自分の人生で、ね、ホントにいいとこに来たと思ってますね。」出田さんが巡りあった十勝の大地。夢多き開拓者達をこれからも呼び続けるに違いありません。』『「冬で冬眠してたものがさ、休んでたものが、春に、エネルギーの爆発ですよ。この十勝の自然の恵みが一気に噴き出してるでしょ。それをすこしでも、たくさん牛乳の生産に結び付ける努力をしてるつもり。それが生きがい。」北海道清水町にある出田牧場の朝です。牛追いに出かけた出田義国さんの乗るバギーのエンジン音が、草地に響いています。放牧主体で酪農を行う出田牧場には、およそ130頭のホルスタイン達が元気に暮らしています。出田さんは春から秋までの間19に分けた牧区に、牛達を隣間放牧させています。牛や草の様子を見て、牛達を移動させる時期を決めている出田さん。この日、出田さんは新しい牧区へと、牛達を移動させました。広い草地で牛達は、新鮮な牧草をおなかいっぱいに食べています。出田さんがこの土地に入植して酪農を始めたのは、昭和52年のことです。24haの広大な放牧地。しかし当時、離農跡地だったこの土地は、岩石や笹、雑木林ばかりの誰もが見放していた土地でした。当初、山地酪農を志していた出田さんは、酪農するにはこんな素晴らしいところはないと直感し、牧柵を作り、林を切り開き、一つ一つ自らの酪農をつくりあげていきました。そして、これまでの22年間、出田さんはずっと牛舎を持たずに放牧での酪農を続けています。「もちくさって言うのはねぇ、あのぉ、ここにないから、なかったからっていう、これにつきるんだけども、あのぉ、入植するときには、ホント清水町内でも五百何十戸かねぇ、酪農家あったんだけども、その中でも最低の酪農家だったよね。もぉ、資金的にどうしようもない。まぁ、借金して始めたんだけど、それでももぉ、限度オーバーでものすごい、今で言う不良債権になる、山腹に置かれるような所からのスタートで、その中で牛舎なんて望みがない。でもやりたいし、やれるっていう自信はあったし。」放牧酪農への熱い思いを描き続けている出田さんと、結婚以来30年間ずっと人生を共にしてきたのが、妻であり最良のパートナーである、もとこさんです。岡山大学で農業を学んでいた学生時代出田さんは、卓球部の後輩だった、もとこさんと出会いました。将 来は静かな山村で牧場を持ちたいと、夢を語る出田さんに、もとこさんはこれからきっと面白い人生になると予感した、と言います。』『出田牧場の牛達は一日のほとんどを、広大な放牧地の中で過ごします。6月、やさしい光が差し込む放牧地で、のんびりと草を食む牛達。牛達の時間がここにはあります。出田さんが遠くで見守るその先には、1頭の牛がいます。お産が始まっています。草地の上で自力で出産する牛達。ここでは、自然のままに命が生まれ育っていきます。出田さんは冬でも牛達を放牧させています。寒いときにはマイナス20度をこす環境の中、雪は暖かく、牛達はその上に寝そべってときを過ごします。そして、綿毛のような毛で自らを覆うことで寒さに適応できる力を身につけているのです。自然の力を大切にして酪農を続けてきた出田さん夫妻には、牛達と共に育ってきた4人の子供達がいます。出田牧場の搾乳室。放牧地からやってきた牛達は、空いている場所へと、自ら進んで入っていきます。朝の搾乳を担当しているのは、もとこさんと次女の朝子さんです。両親から自然との関わりの大切さを学んできたという朝子さんは、まもなく地元の畑作農家の青年と結婚する予定です。「とりあえずなんか幸せを作っていけたら、いいかなと思いますね。やっぱり幸せを作るのっていうのは、やっぱり周りのものを大事にしたりとか、そういうことなんで。」6月初旬、どこよりも早く一番牧草の刈り取りをしているのは、大学で畜産を学び、昨年から出田牧場の後継者として働くのは、長男の大さんです。「親の苦労すんの見てきたから、こんな牛飼いにあこがれてとか、そういうのはあんまりなかったんですけど、ここが好きですし、あと、牛乳もおいしいですし、まあここで、ある程度裕福な暮らしができて、これだけのいいところで暮らせたら幸せかなと思って。」青空の下、穂が出る前の最も栄養の高い時期の牧草を刈り取り、サイレージを作る、出田さん親子です。この土地で育ったいい草を牛達に与えることで、良質な牛乳を生産していきたいと考える出田さん。大地の恵みである牧草で、最高のサイレージを作ります。朝と夕方、放牧地にいた牛達は搾乳室へと向かいます。搾乳室の隣にある給餌場では、出田さんが丹精込めて作った最高のサイレージを、牛達がおなかいっぱいに食べています。出田さん自身が築き上げてきた風景が広がっています。四季それぞれに表情が変わる美しい牧場の姿は、出田さん自身が、自ら手に入れた幸せです。ここは、たくさんの命が輝いている場所。十勝の自然が育む豊かな大地を恵みを生かして、牛も、人も幸せになれるような酪農を築き上げていきたいと願っている出田さん。出田牧場の命の糧である牧草は、出田さんの生き方そのもののように輝きながら、まっすぐに天に向かって伸びています。』はい、ビデオは終わりました。で、最初のビデオはね、平成3年で15年ぐらい前の写真。で、それからその次のは、平成11年かな? 5、6年前のだから、まだちょっと若いね。今よりね。で、あの中で、後の方に写真が何枚か、フィルムが出てきたでしょ? あれ全部ね、私が家の中から、窓から撮った写真です。こんな風景を一年中見ながら、生活しています。それから、さっきの説明だけど、牧草の収穫体型ね、今はちょっと変わってて、あれはきっと、キャンプワゴンっていうので草を持ってきてたんだけれども、今はねぇ、こんなビッグヴェール、角型ビッグヴェールっていう、高圧縮のね、梱包を作って、それをバンカーサイロに詰めてサイレージを作っています。これちょっと補足説明です。
<無畜舎酪農>
さっき新名先生も言われたように、出田牧場には牛舎がない周年放牧。放牧って冬も雪の中に寝てたよね!あれ、放牧って言えるかどうかちょっとわかんないんですけど。周年放牧です。さっき夫が言ったように最初はお金がなかったから、牛舎は建てれなかった。で、今、搾乳室も前の人が使ってた牛舎の中を改造してそのままパーラーに、今でも使っています。で、牛舎はそのうち建てるつもりだったのね。儲かったらね。何で建てないの? 家あったしょ? 住宅ね。それ平成元年に建てました。寒冷地住宅の決定版っていうとっても暖かい家なんですけど、人間は暖かい家に住んで、牛は寒そうでしょうって言われるんですけども、牛を見てたら牛舎があっても入りたがらないの。それを見てて、あっ!牛は外のほうが好きなんだ。牛舎は人間のためにあるんだなっていうのを牛の行動を見て気がついたの。繋れるのも嫌だし、建物の中にいるよりも、冬でも外で伸び伸びと寝たり起きたりしてるほうが、牛にとって幸せなんだな。というのに気がついたっていうか、牛が教えてくれたの。で、牛舎っていうのは人間が作業しやすいように、仕事しやすいように、人間が寒くないように、能率的に儲かる作業をするために、作ったものであって、牛のためじゃないんだな、っていうのに気がついたのね。牛を見てたら冬でも、あんな雪の上で寝てても、ちゃんと温かい牛乳を出してくれる。すごいね!牛ってね!で、牛の適温っていうのはマイナス5度からプラスの12、3度かな?っていうんだけども、マイナス20度くらいになってもさっきビデオでもいってたように、雪っていうのは0度に保つ働きがあるのね。で、雪の上に寝てたら乳頭もちゃんと保護してくれる。初めの頃はね、凍傷とかあったんだけど、今ほとんどないね。すごい 遺伝的にもだんだん強くなってきて冬でも雪の中に寝ています。
<季節繁殖>
今ね、お産のピーク時で、放牧っていうのと季節分娩、うちは4月から6月の末くらいで、お産のだいたい80%をお産するようにも苦風にしてるんだけれども、必ず放牧と季節分娩はセットです。ていうのは、放牧で、今の草が一番栄養価が高いのね。CP で21とか22。CPってわかるかな? 過消化タンパク。タンパク質が一番多いの。もうちょっと5月の半ばくらいから、そういうとってもいい草があるんですけど、穂が出る前の草っていうのが牧草は一番栄養価が高いの。タンパク質が高いの。で、配合飼料とか買っても21とか18とか20とか、なんとか21とかあるでしょ?あれは過消化タンパクのパーセントなのね。それが今の生えてる牧草は21以上23も25もあるの。で、うちは放牧で、おっぱいを出すようになったら、だんだん子供が成長するに合わせて、やっぱりたくさんでるようになるよね。2、3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月って、だんだんだんだん、たくさん飲むようになるから増えるの。そしたら子供がいらなくなったら、だんだん減っていくのね。1年周期なんだけども、牛乳の成分分かる?何が一番多い? 水が一番多いよね? 水分何%だと思う?水分が多いけど、その他にタンパク質、乳糖、いろいろあるよね!ビタミン、ミネラルも入ってるし、それを仔牛の成長に合わせていっぱい出すのに、今の、すごい栄養価の高い餌が食べれるときと、ちょうどピークを同じにするのが、放牧と、季節分娩をセットにする。それをセットにしてるから、購入飼料、濃厚飼料とかいうんだけども。輸入の穀物、大豆、トウモロコシ、それから何があるかな? ふすまとかいろいろあるけども、タンパク質の高い穀物っていうのは、値段が高いよね? 今いくらするのかな? うちは、大豆使ってないからわからないけども、そういうタンパク質の高いものを、買わないで、タンパク質はうちの牧草からとる、で、牛乳の生産に結ぶついている。 で、買うのは安い粕類。で、低コストにむすびついています。それと、大豆とか、トウモロコシとか、輸入穀物? アメリカからだいたい輸入しているけども、人間食べれるよね!で、世界中で、飢餓で、1日に、何人の子供が死んでいるのか? 飢餓人口が何人か?その、本当に戦争で死んじゃう人もいるし、飢餓で死んでる子供たちのことを考えると、人間が食べることのできる穀物をどんどん食べさせて牛乳を搾ることに、すごい抵抗があるよね。だから、タンパク質は自分の土地から採って、牧草からとって、で、あとを、安いもので補おうっていうのが、根本的に基本的に、 うちの飼料体系のなかにあるの。それも低コストの一つになっているんだけども、で、放牧した牛が、どれだけ草から栄養を取れるか、取ることができるかっていうのは、やっぱりねぇ、仔牛のねぇ、育成のときからの育成の仕方にもかかってるの。最初からうーんと、早期でよかったけどね、うちは、だいたい35日で離乳してるんだけど。それから、放牧するまでに穀物類はあんまり食べさせないで、牧草地帯の牛にするために、牧草を仔牛が好きな食べやすい草をあげるんだけど、それによって、もう生後4ヶ月から外に、親と一緒に放牧すんの。で、4月、5月、6月くらいに生まれた仔牛は、そのまんま4月から、4ヶ月から、えっとだから冬も外で、その〜、パンフレットにもあるでしょ?こういう風に外で仔牛が寝ているのね。で、何て言うの? その〜、かわいそうな牛が主体だっていう声もあることにはあったんだよ。でも、うちの牛の平均産次ってわかりますか? うちの牛が平均で何産しているかっていう数字。何産まで赤ちゃん産んで牛乳搾れるかっていう数字なのね。で、今、全国平均かな?北海道平均かな?2.5産とか2.6産とかね、乳牛の2.5産とか2.6産っていったら人間でいったら30代ちょっとくらいかな? そのぐらいが平均なの。それはどうしてかっていうと、若いときから、最初っから お乳をたくさん食べさせるために、穀物をたくさんあげるとか、牛がつやつやしてるでしょ? で、なんのために牛に欲求があるかっていうと、人間が食べることができない、牧草を食べてそれをタンパクに変えてくれるの。人間てさ、草を食べてもタンパクならないね。クローバーってタンパクいっぱい入ってるんだけど、あのクローバー食べても人間はそれをタンパク質に変えるこができない。だけど、牛は4つの胃があるために、草を食べたらタンパク質に、牛乳にも変えてくれるしお肉にも変えてくれる。そういうすばらしい能力があるのね。で、その牛の能力を最大限に発揮しながら酪農をしています。で、放牧していると、牛が自由に歩いて考えて、いろんな季節の変化に対応できる能力があって、牛、目持ってるし、頭持ってるし、五感ていうのかな?嗅覚とか、全部をね、もう最大限に活かして生活できるようなるっていうのはものすごい能力なのね。で、いろんなことも乗り越えていくし、そういう牛に教わることがものすごく多くて、で、私たちが考えている以上の能力を発揮してくれます。そういう風に飼ってたら、今、うちで平均産次が4産くらいかな?4産っていったら人間の何歳だろう?何歳くらいですか? だいたい平均4産くらいまで搾乳しています。で、搾乳できなくなった牛はお肉になるんですけどね。平均4産くらいまで。で、牛の放牧 を最初からしているだけども、いま、28年目か。で、最近放牧もいろいろ、いろんなとこで取り上げられてきたし、農水省の方でもね、放柵放棄地を放牧に使おうとか、国の方でもそういう動きになってきた。それから、酪農の方でも放牧が割り合い取り上げられるようになったし、ニュージーランド放牧も同じ、5、6年前から入ってきたのかな? でも、昔から放牧っていうのは日本にあったし、日本型の放牧っていうのもあってもいいと思うのね。で、本州のほうでもずっと昔から放牧してるといいます。で、ニュージーランド放牧とうちとちょっと違うのは、牛を閉じ込めないことかな? きれいに食べさせるために牛を閉じ込めちゃうのね。けどうちは、餌場とか、お水のところと、放牧地とはいつも牛が自由に行ったり来たりするように、放牧地設定してあります。
<子育て>
最初、昭和52年に入植して、そのときに2人子供いて3人、4人ビデオに映ってて、娘はもう結婚したんですけども、長男はうち、手伝ってくれてます。その子供4人、子育てするのに、普通の既存の農家だったらおじちゃん、おばあちゃんいて、子供みてくれたりご飯作ってくれたりするのね。が、新規入植だから、お父さんとお母さんだけしかいないから、2人で仕事したら子供をほったらかし?とかいうのは、私には耐えられなかったの。で、お父さんは酪農を夢見て入植した。もちろん酪農は成功しなけりゃいけないけども、私は、子育てというのは人間を育てる、人間をつくる。私と同じ人間を4人、生んじゃったんだから、ちゃんと育てなきゃならないと思ったのね。それは大変なことだと、ものすごい責任感を感じて。で、生活を子供がちっちゃい頃は子供中心の生活にしました。で、酪農はそれができるのね。自分で仕事してたらね。昔、酪農家は朝が早くてとか、大変だっていうイメージがあるでしょ? 皆、あるでしょ? 早く搾乳しなきゃならないっていうイメージがあるでしょ? あれは ね、昔、朝早起きして手搾りしてね、集乳缶に入れて。で、車がきてるから持ってってたのさ。今はね、3回搾乳してるとこもあるけども、バルククーラーっていうのができて、それものすごく性能がよくなっから、いつ搾乳してもいいのね。で、私、子供ちっちゃい頃には、朝ごはん食べて、保育所とかにやって、それから朝の搾乳しました。で、夜は子供がちっちゃい時ね、子供寝かせてから搾乳したのね。夜中にね。大変だったけど、でもホントにおかげさまで、子供ちゃんと皆大きくなって。
<酪農のおもしろみ>
それで、子供がだんだん手を離れていって、私の手を離れてきたら、プロ意識にまた目覚めたっていうか、よし!これはおもしろい!仕事をして、自然は裏切らないのね。自分がやったら自然とか動物っていうのは、やったでやっただけのことを返してくれる。で、それは、私初めから経理してるから、筆記簿記でうちの経理全部してるし、自己申告もしてるんだけど、その数字に正直に出てくるのね、自分がやったことが。それはもう、おもしろくておもしろくてしょうがない。仔牛一つでも育てるのでも、産んだときお母さんがなめ回して、やってたでしょう? で、おっぱい飲ませてるよね? で、あれを連れて帰ったら、今度は仔牛と分けて、で、私が哺乳するんだけども。その仔牛を哺乳するときでも、親がするようにしてやるのさ。かわいがってかわいがってね、撫で回してね、撫で回してね。そしたら、その牛との信頼関係ができるでしょ?でもホントはね、2週間で出て行っちゃうんだけども、雌は全部そうやって育てるの。したら初めはあんなして親についてるけども、あと私にミルクもらうようになったら、今度は私をお母さんだと思ってるのね。だから育成牛になっても、若牛になっても、親になっても、私を親だと思ってるし、私は自分の娘だと思ってるのさ。140頭の牛全部。で、性格も知ってるし癖も知ってるし。で、親の癖は子供に似るしね。足上げしてしっぽを良く振る、その子供はしっぽ振るしね、コノヤロウ!もうホントにね、遺伝っていうのは、すごいよ!遺伝的能力っていうのは。皆もそうだよ!親の、両親の、ちゃんとDNA 受け継いで、今ここでこうしてるのね。で、私はそうゆう目でうちの牛を見てるから、牛と一緒に生きてるっていうのかな?牛と一緒に生活してるっていうのかな? 牛を飼ってるんじゃなくて、牛に飼われてるんじゃないなぁ?牛に生かされてるっていうのかな? 牛のおかげで生きてられるっていうのかな?そんな感じで毎日過ごしてます。
<農業は命を育てる仕事>
農業っていうのは命を育てる仕事。命っていうのは人間の命じゃなくって、土の命、空気の命、植物の命、水の命、動物の命。そんな全部の自然の命を全部受け入れて、受け止めて、私達の命が育ってますよね?私達が口にするもの、生まれてからすぐ口にするもの、それはミルク。ミルクの中には全てが含まれているのね。パーフェクト!その後、赤ちゃんから大きくなるまでには、食べるものを食べて、大きくなったんでしょ? それみんな命を食べてるのね。植物にしたって、お野菜にしたって、魚にしたって、お肉にしたってね。で、そうゆうのを感じるし、自然の近くに住んでると、動物もね、植物もね、よく見たらね、自分のために生きてるんじゃなくて、自分の子孫を残すために必死で生きてるの。命がけで生きてるの。闘ってるの。それを感じるでしょ? たんぽぽでもきれいだなぁと思ったら、すぐ種になっちゃうでしょ? で、自分枯れちゃうでしょ? それが命なのさ。で、そういうふうに、植物でもそういうふうに感じるし、動物でも見てたらね。うち、犬、さっきいた犬と猫がね、30匹ぐらいいるんだ。猫はね、牛の餌にねずみがくるのを防いでくれて、仕事してるんだけども、猫の子育て見てたらすごいもんね?? もう必死で毎日がりがりになってもねずみ取ってきて、子供に食べさせてるのね。そんなのを見てたら、あっ!人間なんて、動物や自然には及ばないんだなぁ。なんて思ったりしています。で、農業の基本っていうのは、その土地を活かす。農家としてやらなきゃならないっていうのは、与えられた農地、大地の生産性を最大限に活かしながら、食料の生産をすることだな。それが私らの使命なんだな。と思いながら毎日酪農をやっています。
<スライド紹介>
これビデオ映ったよね? 場所はパンフレットにでてますね。これもパンフレットにでてますね。これはね、家の窓から写した写真。いえのねぇ、2階から写したのかな?家の窓から、部屋の中から写しました。こういう風景です。あっちの山は剣山です。これは逆に放牧地の一番高いところから、十勝平野を見渡しながら写しました。これだけすごい傾斜あるんですね。これは放牧地の牧草の写真です。だいたいチモシーとクローバーと、こんな割合で生えています。でこれは、家には牧場看板て、こう立ててあるんですけど、こう いう放牧地。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12……これ18まであるかな?だいたいこれぐるぐるローテーションしてます。それは兼用地です。放牧してる場合にどんどんどんどん回していって、今の時期っていうのは、1日に10cmも15cmも伸びるのね。草がね。で、そういうときは伸びすぎるから採草して、冬のサイレージにします。で、そこの18は、乾乳牛を、夏はわけて放牧している。夏は搾乳専用の放牧地では、ちょっと栄養価が高すぎるので、乾乳牛だけ向こうに分けてあります。これは離乳してから、こういうパドックに移します。これは人間でいったら幼稚園か保育園かな?哺乳してるときは1頭ずつかわいがって育ててるんだけど、これが幼稚園クラス。今度、群れに慣れさせるためのパドックです。こんなねぇ、簡易的な小屋で、これでも酪農はできる。っていうやり方でやっています。これで、4ヶ月くらいまでこういうパドックで、群れ飼いを覚えるためにこういう一群れにしています。で、4ヶ月たったら外に出します。これは、群れ飼いにしてるところから、多分除角をしてから出すところだと思うんですけども。あれが住宅ですね。で、住宅で、後ろにあるのは体育館です。体育館をねぇ、造っちゃったんですよ。卓球をしてたでしょ?で、お父さんと2人で卓球をしたくて、体育館建てたんだけど、ここは、バスケットボールしたいとか言って、バスケのゴールを造ったり、これ、体育館ですね。で、家からつながって入れますし、こっちからも入れます。体育館なんて程のものではないんですけども、とっても私達にとってはうれしいスペースができました。これが鉄板の飼槽、餌場なんですけども、4ヶ月で親と一緒に出しても、最初は食い負けしちゃうのね。仔牛ね。だから先にここに線引っ張ってね、ここで最初に仔牛に、ちょっと配合飼料とか、食べさせることができるところです。それから、その向こうのスタンチョンがある、中には、サイレージが入っています。冬はその中にサイレージをいっぱい詰めてあって、両側から牛が食べるんですけども、とにかく豊食です。おなかいっぱい食べさせる。牧草を、草をおなかいっぱい食べさせる。っていうのがうちの 飼料設計の基本です。で、全頭並ばないので、餌バッと出したら親が最初に食べて、仔牛達はちょっと待って。で、親が向こうへ行ったら、その後食べる。そういう全体の群れの動きもだんだん慣れてきてね、上手にね。話はそれるけども、子供のいじめとかあるでしょ?転校してきたらいじめられるとかね。牛だっておんなじ、ちょっとよそから入ってきたり、新しい仔牛出したりしたら、みんなでいじめるのさ。それが社会生活をする動物の当然のこと。で、それに耐えられる仔牛をつくってくの。それが私の仕事。群れでというか、社会生活をする動物。肉食動物じゃなくて、肉食動物は1人で行動するけども、こういう動物は社会性を持っているのね。だからこんな大きい、小さい、いてもちゃんと順位が決まってしまえば、そんなかでみんな平和に暮らしてます。仔牛が放牧地にいて、こんなして歩いて、高いところに上がって行くんですよ。ここは、大雪にちょっと雪降ったところで、から松が黄色になってるから、10月過ぎぐらいかな?で、一緒に出した仔牛はね、いつも、搾乳牛になっても、ずっ と同じグループですね。子供のときにああいう群れになったら、仲間です。一生仲間で、群れの中でも同じ年代の仔牛達、牛達、親になっても仲間です。これもそうですね。もう雪がもうすぐ降るっていうときですね。そして、仔牛だけかたまっています。これも、家の窓から写しました。朝、これはね、雪が降って、まだ日が昇って雪がまだ溶けてないよね。で、こういう感じで雪の中で牛達が寝ています。時間がなかったら見れないかなぁと思ったけど、見てもらえてよかった。
そういうふうに牛を大切にすることが、私達自分自身を大切にすることかなぁ。私たちが生まれてきた意味っていうのは、ずっと引き継がれてき命の継続っていうのを、引き継いでいくことかな。そのためには食料は必要だし、食料を生産するために、農業を大事にしていかなきゃならないと思いながら、酪農をしています。どうもありがとうございました。
<質疑>
Q:放牧場で自然分娩されるって言われたんですけど、これのメリットとデメリットがあれば教えて頂きたいんですけども。
A:デメリットは、夜中にお産するときに再々見に行けばいんですけども、見に行かないで難産になって、子供が死産になってることが、1年に2頭ぐらいいるかな?若いときは夜中でも見に行ってたんですけども、分娩房を作ってないっていうのは、普通は分娩房に入れてお産させるでしょ? 牛舎があるとこは。けどね、群れで飼ってる牛って、1頭だけ別にするとものすごいストレスなの。病気で自分が立てなくても、寝てるところからみんなのとこ行こうとするの。で、例えば病気があって、青草食わせないほうがいいよって獣医さんに言われて、?いどいて乾草だけ食わせなさいって言われても、そうやって?いどくと、かえってストレスで死んじゃうの。群れで飼ってたら。で、そういうのがあって、1頭だけ別飼いするっていうのはものすごく抵抗があって、いつもみんなと一緒に安心した形で飼いたいんだけども、だいたいはね、経産牛はちゃんと分娩して、あんなふうに仔牛もきれいになめて、初乳飲ませたり飲ませなかったりすることもありますけども、でも、デメリットっていうのは、年間に1、2頭死産になります。メリット? メリットって、他の方がいいと思わないから。すいません。ありがとうございます。
A:そうです。入れるとこないんだもん!140頭も入れるとこ。
Q:大雪って1日に30cm とか……
A:90cm 降ったことあります。
Q:それで大丈夫なもんなんですか?
A:大丈夫なんですねぇ。あのねぇ、牛にねぇ、牛いるでしょ? その上に雪が降ってくるでしょ? したら牛の背中の上はどうなると思いますか?(雪が乗っちゃいます。)(積もってると思いますか? そのまんま? どうして?)(牛寒いから動かないからとか。)(動けないから? じゃあ人間毛生えてるよね。こうやって雪降ってきたらどうなるんですか?)(落ちる。溶ける。落ちる。)(溶けるでしょ?)(溶けますね。)(こっち暖かいから溶けるでしょ? そのうち凍っちゃうけどね。とけるでしょ?でも、牛の背中に雪そのまま乗っちゃうんですよ。動いたら落ちるよ。氷じゃないから。でもそれだけ断熱がすごいんですよ。っていうことは、溶けないのさ。で、自然の動物っていうのはそうだけど冬になると段々、長い毛の間にうぶ毛っていうか何って言うんですか? ずっと細かい毛が生えてくるのね。で、びっちり毛が生えてくるの。で、それが断熱になるし、体表面の毛細血管をきゅっと縮めてね。そしたら断熱効果がものすごくあって、上の雪が溶けないってことは、熱が全く逃げないってことだから。ねっ!溶けるってことは、熱が逃げてんでしょ? そしたら外で飼ってる牛は、雪がそのまんま下に落ちちゃうの。熱を全く逃がさないからだの作りになってんの。だから寒くないの。で、祖飼料をおなかいっぱい食べて、胃の中発酵するわけでしょ?養分あるから。で、その熱で、牛自体は暖かいの全然。で、雪がこうなって、埋もれちゃうかとかっていうんだけど、90cm雪降ってもねぇ、牛が踏んだら2cm以下になっちゃうんです。雪っていうのは。ねぇ。押さえたらぐぅって縮まるでしょ?だから牛が歩いたところは、雪がどんどんどんどんなくなっていっちゃうの。で、寝るときは雪の中にすぽっと入るけども、さっきの表紙のような感じで、牛の寝てるところはへっこんでるけど、手前の方はそのまま、積もったまま。わかるかな? 背中の雪はさらさら落ちてしまう。で踏みつけて歩きます。で、牛の歩いた後は、人間も歩けるけども、牛の歩いてないとこを歩こうと思ったらずぼっとなっちゃう。そんな感じです。踏み固めてくれます。雪を。)
Q:もう一つ聞きたいんですけど、1つの牧区の面積はどれくらいなんですか?
A:だいたい、なんぼって測ったわけじゃないけど、地形に合わせてだいたい1haかな?普通のときは、朝搾乳の前に、次のところを開けて牛を全部追い出して、そこを閉じて入ってくんの、今日のところを閉じて入ってくんの。で、行けば次のとこに行けるようにして入ってくるんだ。朝。したら搾乳終わったら次のとこ行くし、夜搾乳しても、また次のとこ。で、だいたい1日ずつ回していくの。ここに入れるときは、ここの通路開けんのね。で、次ここ入れようと思ったら、ここに牛がいたら、次の日は、こう開けて、これぜーんぶ折り返してくると、ここ止めとけばここは入れるように、その次の日はここに入れるように、ここ止めちゃうのね、通路。4に入れようとしたら、ここストップして入れるように、5に入れようとしたら、ここストップしてこうしとくとね、だいたい1haで兼用地、ここは2ha。だから、1日半。でね、面積だいたい1haあるんだけど、そこに何日出すかとかっていうのは、草の伸びで全く違うの。で、秋なんかは朝、晩で変えることもあるし、今ならまだ残ってたら、きれいに食べさせるために2日入れたり、だって1日に10cm も15cmも牛が食うより伸びが速い。て思うようなときもあるのさ今頃だったら。そういう時は2日入れたりします。でも足らないほどはおいとかないで、それに3日目っていったら、もうちょっとだめかなっていうような日もあるし、それから、どのくらいの面積にどの牛の頭数入れて、ちょうど放牧でいいかっていうのは、まったく決めれない。っていうのは、その土地にもよるし、草勢にもよるし、どのくらい草が密度がどのくらいかっていうので、草の量まったく違ってくるのさ。うちの放牧に興味があるなら、放牧地を見てごらん? びっちり密度あるから。草っていうのは、作物っていうのは、こう植えてて、で、だんだん密植していったら収量多くなるよね?ぽんぽんぽんって植えるよりも。でも、ある一定のところを過ぎると収量落ちてくるのさ。密度が。ね? 過植になると。ところが牧草は、いくら密度が濃くなっても収量落ちないの。だから裸地がなくて、密度がびっちりの方が、で、そういう放牧地にするの。牛を借りて牛のそのローテーションと、それも、その土地のソウセイにもよるだろうし、草にもよるだろうし、気候にもよるだろうし、一概には言えないの。その土地にあった草もあるし。はい、その他、何でもいいですよ。他にありませんか?
Q:パーラー前とか放牧の通路とかって、泥濘化してないですか?
A:あのー、えっとね、これが搾乳舎なんだ。昔の、まえ私より前に入った人が、牛舎に使ってたところの中をアブレストパーラーにしてるんですけれども、そのパーラーにしたときにこのフォールディングエリアとこのへんの牛の通路、このへんまではべた打ちました。もう汚れたら洗うのも大変だし、牛も乳房炎になって大変だから、だから、少しずつね、これも全部ここ飼槽、さっき赤い飼槽あったよね? これが赤い飼槽。あの、このへんから写真撮ったもんで、これが飼槽で、これがさっきサイレージ入ってたところなんだけども、牛があるくところほとんどコンクリ打ってあります。で、ここずっと通路なんだけど、このへんまでやって、このへんまでやって、だんだん伸ばしていって、今このへんまでコンクリ打ってあるかな?通路のこ のへんまで。上の方まではなってないけど。だから、しおれてくるのは一番上。でも上の方は、行く回数がすくないからね、そんなにならないのね。もう自分の、なんていうの? 今年はここまでべた打とう。とかいってだんだん牛の頭数が増えるにつれて、近くこうなってくるから、もう、コンクリ打ちました。途中まで。(ありがとうございました。)通路は大切だと思います。
Q:あともう2つあります。あと、配合、薬とかあげてるそうなんですが、少ないと思うんですが、ピークでどれくらいあげてるんですか?
A:あのね、一年中6kg。産むとき、分娩時期には、分娩後10日までは少ないけど、10日経ってから乾乳まで一律6kg。だから、配合で乳搾ろうと思ってないからまったく。ね? 配合のCP もどのくらいだったかな? 16くらい? だから、配合でタンパク摂るんじゃなくて、草でタンパクを摂って、それを補うのに、カロリーとして与えてるっていう感じ? それとパーラー入ってきやすいのと、牛の、パーラーで配合食べていかなかったら、なんかあるのかなっていう健康管理にも役立つし。だから牧草で、ちょっとその餌の話になるけども、一律6kg。ピーク時も、だからそのときの栄養は牧草で摂りなさいっていう季節分娩にしてあるのさ。で、冬もだんだん乾乳になるけども、6kg。朝晩3kg ずつ。で、牧草でしょう? さっきの草架のここに、あの、昔の夏乾草をやってたけど、今はもう全部バンカーサイロにそのビッグヴェールのサイレージ、サイレージっていってもヘイレージかな?乾草に近いような草なんだけども。夏も入ってます。で、そこで自由に繊維を摂りなさい。草を食べなさい。だから、放牧地で繊維足りないなー?と思ったらそこで自分で食べるし、で、こっちの飼槽でね、生ビートパルプを650t くらいサイレージに1年間に、その時期に。十勝はビートが採れる。で、ビートパルプ。このパンフレットにも書いてあるけども。牧草でタンパクを摂って、カロリーを粕類で摂るっていうので、1日に搾乳牛、そこにね、20kg くらい渡ってるかな? 生のビートパルプ。水分がどのくらい? 70くらいあるのかな?ペレットにしてない工場から出てきた生のビートパルプをサイレージしたのを、それから、でんぷん粕っていうのが6〜7kg。で、こういうふうに仔牛出すでしょ? したらね、ここにでんぷん粕とかね、ビートパルプとか、トラクターでパケットでやるんだけど、どんどんどんたくさん親もやっちゃうの。したら、いくらでも仔牛は食べれるようだけども、ちゃんと自分で調節できる能力が出来てくるの。食べ過ぎないの。これいっぱい食べたら放牧地行って草食べれないな。で、ちゃんと自分でわかるようになって、自分で飼料計算して食べれるようになるのさ。食べ過ぎないの。それは、その、牛?いでてその前に餌持っていってやったら、いくらでも食べるよね。おいしいものだったら。配合飼料だったら、いっくらでも食べるだろうけども。自由にしとくと、そういう自分でね、調節する能力が出てくる。だから親になっても、ばーっとやるんだけども、ここで食い過ぎて、あっちで食い過ぎてっていうのはなくて、ちゃんと自分でね、バランスとるようになるんだわ。不思議に。それが自由にして やってるっていうことのメリットなのかな?
Q:ありがとうございました。あともう一つ。何頭か断尾してた牛が見られたんですけども、それはなんでやってるんですか?
A:あんね、アブレストパーラーって後ろにうんこ受けてないでしょ。最近のパーラーでパラレルとかいったらうんこするならうんこするなぁって逃げれるんだ。さっきのアブレストパーラーね。しっぽ振るの。ちゃんとチェーンかけてしっぽ押さえるんだけど、うるさいのはうるさいんだわ。で、お父さんはうるさいなぁぐらいだけど、私が嫌なのさ。女性は嫌なのさ。しっぽベターってくるのが。うんこついとるのが。で、私が切る。私が。うるさいのだけだよ。で、それも遺伝。あの親がうるさいから子供もうるさいのがいてね、でね、お父さんは反対だったの。放牧地歩くのも、しっぽはバランスをとるためだと。ね? 走ったらだめだったの。搾乳牛は太らせちゃだめなんだけど、歩くのもしっぽはちゃんとバランスをとるためにあるんだから、太陽を追うためにあるんだから、しっぽは切るもんじゃないっていうのさ。でも私が耐えられなくて、で、ビニールテープ、あれをキューっと巻くの。巻いとくの。巻いとくだけ。痛いだろうけどね。したら落 としてくるの。どっかで。でも、ひと月近くかかるかな? ごめんなさいだけどね、牛にね。分かるっしょ?お父さんはしないのよ。私がするの。
Q:すいません、餌の話なんですけど、でんぷん粕をカロリーを取るために与えているということなんですけど、そのでんぷん粕の出元というのは工場ですよね?その場所は地域内というか近くの場所なのか?ということと、その輸送はどのようにしているのか、ということを教えていただけますか?
A:あのね、旭山っていったら。清水のこっち側、新得で、清水があって芽室町、帯広になるんだけど、私は芽室町に近い方なの。農家じゃないから借金しなきゃ酪農ができないでしょ? で、その借金を土地を買うための何千万という借金を返して、利息を払って、生活して、子供を育てるには、どうやったら低コストでできるかっていうのをずっと考えてたのね。したら放牧しかないと。でも放牧だったらカロリーが足りないっていうんで、これだって思って、父さんが思ったんだよ。私じゃないんだよ。でんぷん粕だって思ったら目の前に芽室町にでんぷん工場があったの。で、十勝は産地だしね。で、清水から運ぶよりも芽室から運んだほうが、t いくらだったかな? t で、800円?700円か800円ぐらいだったかな? で、運賃がだよ。でんぷん粕の値段が100円くらい? 粕代は。芽室から運んでました。いつからかな? 統合になって芽室 閉鎖されて士幌で焼却処分するようになって、なにをばかなことをやってるんだろうって思ったんだけど、餌としてものすごくね、重要な資源なのに。で、今は中札内の南工連ってとこから買ってます。そこはまだ飼料用として出してます。で、そこから運ぶとt で1,500円ぐらいかかるのかな? だから運賃も含めての餌代。ほんとはね。あの、経理のほうではこっちが餌代、こっちは運賃って言えちゃうけど、遠くなると高い餌になるけども。それでも、でんぷん粕の餌としての価値でいったらね、TDN で計算してもすごく安いのね。十分の一ぐらい、普通の配合飼料とか、TDNに換算して十分の一以下ぐらいで買えるから、でんぷ ん粕は餌に入れたした。ただ、やり過ぎるといろんな障害出てくるんだけども、ずっと使いたいと思っています。
Q:あともう一つあるんですけども、先ほど放牧の話で、日本型放牧もあっていいんじゃないかっていうお話があったと思うんですけども、ニュージーランドの放牧っていうのがありますよね?それとの違いっていうのを、もうちょっと詳しく教えていただきたいんですけど。
A:あっていいんじゃないかじゃなくて、あったんだっていうんです。だから私らがやろうと思ってた、昭和40年、私が昭和40年入学でしょ。夫が39年入学。で、夫は牛飼いをやりたいと思って39年に岡大の農学部に入ってるから、で、そのときから、どうやったら放牧、低コストで出来るかって、放牧の勉強をしてたの。その当時から、ちゃんと高知の方でもちゃんと放牧してたし、オカザキカンっていう人。今の人とは違うんだけど、それから、いろんな本もあったし、ちゃんと昔から日本の、輪換放牧?こうちゃんと、同じとこにずっと出すんじゃなくて区切って回してくっていう、放牧の仕方を、夫は大学のときに勉強してるの。で、ニュージーランド放牧が入ってきたのは、もともと後でしょ? 輪換放牧っていう、りんって、「輪」の「換」わる。輪換。林の間じゃないよ。輪して換える放牧っていう、放牧体型ってあったし、それはだから、昭和40年頃だから、ちゃんとそういう言葉もあったし、っていうことは、そういう方式もちゃんとあったのさ。ちゃんと大学の先生が書いた本があったし、私も読んだし、だから、あったはずのなのさ。それがだんだんなくなってきたっていうのは、やっぱりコスト競争かな?いろいろまぁ、そっちの話をしたら長くなるからまぁいいや。前から日本にも放牧で、輪換放牧してた放牧の仕方わかりました。っていう話。
Q:形態が似たっていう形ですか? ニュージーランドの放牧と形態が?
A:似てます。にてます。もう一つぐらい誰か質問ありませんか?
Q:粕類のサイレージに興味があるんですけど、生パルプとか、生でんぷん粕とかって、水分が高いじゃないですか?それって、何かと混ぜて水分を下げたりして調整してるんですか?
A:サイレージにするときですか?
Q:はい。
A:うちは原則として、餌を絶対混ぜないの。混ぜないの。草は草、配合は、配合っていうより、指定混合なのね。配合飼料って感じじゃなくて、これをなんぼ、これをなんぼ、とうもろこしと、ふすまと、なんぼ混ぜてください。って餌屋さんに頼んで、混合飼料なんだけども、それはパーラーでやるでしょ? だから絶対混ぜないの。それぞれ個別にやるの。草は草、だから、水分はビートパルプも工場で脱水してきて70%ぐらいかな?でんぷん粕も、飼料として脱水してもらっ て、70%ぐらいになってるとおもいます。で、それをバンカーサイロに入れて、ビートパルプはきちんと気密にして、2本つくるの。2本つくるっていうのは、発酵するまでに時間かかるから、40日以上は開けれないから、で、時期をずらしてビートパルプは2本つくって、それを数年でやってます。
Q:ありがとうございました。出田さんは、まだすぐに帰られずここに少しいらっしゃいますんで、個人的にいろいろ質問がある人は、残って聞いてください。それでですねー。もう一度素晴らしい話に、感謝の意を込めて、拍手お願いします。
友情出演じゃないんですけども、飛び込みで来週話をしてくださる、岡田ミナ子さんも今日いらっしゃってます。ちょっとお立ちいただいて、来週お話をしてくださいますけども、拍手をお願いします。

 

 

 

 

 

 

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