「実践酪農学」の記録


「実践酪農学」の記録

【1】放牧酪農について  佐藤智好氏(足寄町酪農家)

【2】教育ファームについて  広瀬文彦氏(帯広市酪農家)

【3】専門農協の取組  野名辰二氏(サツラク部長)

【4】都市近郊酪農の実践  百瀬誠記氏(江別市酪農家)

【5】酪農における男と女の役割  石橋榮紀氏(浜中町農協代表理事組合長)

【6】無畜舎酪農と季節繁殖  出田基子氏(清水町酪農家)

【7】酪農地帯における畜産加工  岡田ミナ子氏(白滝町酪農家)

【8】酪農支援の取り組み  中野松雄氏(鹿追町農協常務理事)

【9】酪農生産法人の歴史  白石康仁氏(卯原内酪農生産組合部長)

【10】農業後継者支援策  山下光治氏(北海道担い手センター)

【11】農場の設計手順  船本末雄氏(北海道農業協同組合中央会)

 
専門農協の取組
 
「サツラク農協の概要」
私どもの農協には110年の歴史がございます。レジメにもございますように、明治28年に創設者の1人であります黒澤酉蔵さんをはじめとした仲間で新しい農協を作ろう、ということで始まった農協でございます。昭和の戦争前には酪連というものがございまして、牛乳・乳製品の製造と農協組織の両方をやっていました。戦後にはみなさんご存知の雪印乳業が製造部門として分かれました。サツラク農協と雪印乳業の母体は、同じ酪連だったのでございます。今でも雪印乳業さんとはお付き合いがございます。私どもの牛乳工場が丘珠(札幌市)のさとらんど"にございまして、平成10年にサツラク農協の製造部から分かれまして株式会社になりました。そのときに資本提携をしまして雪印乳業さんと共同してやっていこう、という形になりました。みなさんご存知のように、平成12年に雪印乳業で、あるご存知の事件が起きました。今の段階では、雪印乳業さんから人は派遣されておりますが、事業的には、そんなに大きな規模では一緒にやっていない、という状況でございます。
それではあと1時間くらいになりましたので、内容に入らせて頂きます。


「農協の規模と歴史〜広域専門農協」
サツラク農業協同組合、広域専門農協の取り組みと いうことでお話させて頂きます。この画面(スライド)は札幌市内の手稲にある牧場でございまして、後ろが手稲の山並みでございます。札幌市内には20戸位の組合員がいらっしゃいます。サツラク農業協同組合は広域専門農協という形でやっております、酪農を専門にした農協でございまして、石狩管内を中心とした410戸の酪農家集団でございます。元々は1,000戸位あったのですが、時代の変遷とともに、札幌市内が中心だったものですから離農される方もでてきて、今現在組合員は410戸、出荷組合員は114戸になっております。 その他に胆振、伊達とか洞爺湖のあたりで4戸の酪農家が私どもの組合員になっております。それと旭川に6戸組合員がいらっしゃいます。
年間の生乳生産量は49,000t です。10年前に比べてどうかと申しますと、10年前も49,000t だったのです。出荷組合員は250戸だったので、大規模化がこの10年の間で進んだというわけです。職員の数は今現在120名で、先ほどお話しましたけれども、ミルクの郷(さとらんど)という牛乳工場は分社化されて120名の職員がいます。それとあわせますと元々の職員数の規模は240名だったということでございます。


「四日会〜酪連からサツラクへ」
先ほどお話しましたように、明治28年、1895年に札幌牛乳搾取業組合という形で営業する、「四日会」というものがございました。四日会とは札幌ビール〜その頃は官営だったのですが、官営の札幌ビールからビール粕の払い下げを受ける会で、毎月4日に開いたと言われております。現在も四日会は生きておりまして、年に1回、1月4日に集まり親睦を深める会、という形になっております。昭和23年に札幌酪農業協同組合という名前で新たに農業協同組合を設立しました。これが今のサツラク乳業の母体でございます。昭和43年にカタカナのサツラク農業協同組合に改称いたしました。ですから、昭和23年から数えますと50年の歴史、四日会から数えますと110年の歴史になります。昭和45年に市乳工場……、先ほど言いましたように酪連の当時は雪印乳業と一緒でしたから牛乳工場を持っていましたけれども、それ以降は雪印乳業と離れまして農協だけになりましたので、市乳工場を持っていなかったのです。そこで昭和45年に市乳工場を西区の二十四軒(札幌市)につくり、平成6年くらいまで創業しておりました。今でいう地下鉄二十四軒駅の真上だったのですね。今はハッピーというパチンコ屋さんになっています。皆さん、知っている方もいらっしゃるかもしれませんけれども……。


「農協の理念と生処販の一貫体制〜全部自分のところで」
私どもの農協の理念は、組合員の豊かな酪農経営を確立する健土健民思想……、先ほど黒澤酉蔵さんの話がありましたけれども、私どもの市乳事業部の応接間に黒澤酉蔵さんが毛筆で書かれた「酪農は健土健民の母」が額に入って掲げられております。それは、酪農を通じて土づくり、草づくり、牛づくりを基本にして、豊かな自然の恩恵を受けた牛乳で消費者への健康に寄与する、ということで、「酪農は健土健民の母である」が、私どもの組織がはじまった頃からの理念でございます。私どもの農協の事業のやり方は、104年の歴史、伝統の既成概念にとらわれない自由で柔軟な発想を持つこと、それと生処販の一貫体制の堅持……、これはどういうことかと申しますと、通常の牛乳の生産・販売については、一都道府県に1つの指定団体で行われます。北海道ではホクレンですね。農家は農協を通じてホクレンに牛乳を出す、その手段しかありません。
それが嫌だというのが私ども組合員だったのです。自分たちで農協をつくって、生産から処理・販売まで全部自分のところでやろうと……。しかもその牛乳の生産というのは、補助金なしにはできない状況なのです。なぜかというと、牛乳は高く売れる、加工乳は安くなってしまいます。総合すると全体の牛乳の乳価は、生産者がやっていけないぐらい安くなります。そこで国が補助金を出して、その穴埋めをしようというのが不足払い制度という、皆さん聞いたことがあるかと思いますが、「国が足りない分を補助します」という形で実際に各都道府県から指定団体に補助金が払われ、それが酪農家の安定につながっていくのです。私どもの方ではそういう補助金は頂いてないので、自分のところで作った牛乳を、他のところ以上に高い乳価を農家の方に払って、販売していこうという形です。そういう農家との一体の中で、組合員の皆さんとのコミュニケーションを濃密化して情報技術の共有化、意思の一体化を図っています。


「生処販の「生産」とは〜土づくり、草づくり、牛づくり」
生処販の一貫体制の中の、「生産」のところで何をやっているかというと、先ほど出てきました土づくり、草づくり、牛づくりという中で、「土づくり」については土壌診断をやっていい土を作りましょう、「草づくり」については作物の栄養診断・分析をして牧草やコーンサイレージを適切に作れるようにしましょう、そして草地の改良を補助あるいは支援しましょう、という形です。「牛づくり」については、栄養診断と生乳検査で衛生的乳質をチェックしましょう、生産資材については私どもで配合飼料工場を独自で持っておりますので、そちらの方で安い生産資材を農家の皆さんで購買しましょう、ということです。もう1つ特徴的なのが、獣医の先生が今現在8名おりまして、家畜の診療と人工授精を独自に行っております。


「生処販の「処理」〜毎日検査と夏場の対策」
生処販の一貫体制の中の「処理」というのが生乳の検査、牛乳の製造と品質管理です。生乳の検査については、各農家の個乳という農家で搾ったバルククーラーの牛乳を毎日検査します。毎日検査して衛生的乳質とか成分的乳質を毎日FAXでお返しします。「検査結果をお返ししますよ……それでいい牛乳を搾ってください」ということです。衛生的乳質については、出荷日ごとの個乳について、目標は細菌数が1mlあたり1万個以下、体細胞数が1mlあたり20万個以下です。
目標達成のために、獣医さんも含めて生乳共販課という生乳の指導しているところで、特定数値以上の体細胞数を示した組合員に対しては改善方法を助言します。もう1つは、衛生的乳質ではないのですが、牛の生理から言って、暑いときには牛乳は出てこない〜販売の方は夏場がよく売れる、という逆のカードをなくし、5月から10月の良質乳を確保するために、値段を高く買います、いい牛乳についてはこの時期は特別に高く買います、という奨励金の対策をしております。


「成分規格とペナルティー」
成分的乳質については乳脂肪分が3.8%以上、無脂乳固形が8.8%以上、乳タンパク質が3.2%以上を今年の目標で掲げております。前年の実績は、乳脂肪分は3.97%で完全にクリア、無脂乳固形分は8.77%で若干低いですが、乳タンパク質は3.24%で、これもクリアしております。前々年も乳脂肪率が4.01、無脂乳固形分が8.77、乳タンパク質が3.26という結果になっております。
私どもの生乳の規格ですが、規格内の牛乳は無条件に引き取ります。衛生的な乳質の規格は細菌数が30万個未満で体細胞数が50万個未満、成分的な規格は、乳脂肪分が3.0%以上で無脂乳固形分が8.0%以上……、さっきの成分的乳質のところで、脂肪分は前年が3.97%で無脂乳固形分が8.77%なので、随分低い規格だな……という印象がありますが、これは、食品衛生法の中の乳等省令の中で、牛乳であるということは乳脂肪が3.0%以上、無脂乳固形分が8.0%以上という法律上の規格があるためです。
次に不合格の牛乳の基準は細菌数が100万個以上または体細胞数が150万個以上で、これにはペナルティーがあります。ペナルティーは当日の出荷乳量に対して1kgあたり100円です。抗生物質についても、当然生乳中に残留しているのは、食品衛生法に違反になりますので、当日の出荷乳量に対して1kgあたり200円というペナルティーを科しています。抗菌性物質の場合にはタンク検査と言いまして、タンクローリーから牛乳工場で受け入れのタンクに入れる前に、抗生物質の検査をします。その検査で合格しないとタンクの中に入れられないです。タンクローリーは大体10t車なのです。もし抗生物質の陽性反応が出た場合には、そのタンクローリーに入っている10戸ぐらいの農家さんの牛乳は全部弁償となります。抗菌性物質等の混入等があった場合には、その実害額を負担して頂くというかなり厳しい形になります。ただし、今はミルー保険というのがございまして、皆さん生乳出荷者の方は保険に加入していまして、実際には損害を出した農家さんが全額を負担というのではなく、ほとんどがその保険で間に合うようになっております。


「生乳確保の対策〜牛導入の補助」
また、生乳の確保対策で、49,000tという年間の乳量は、現在は維持しておりますけれども、家畜の糞尿対策がまだまだ問題になっている中で、もう辞めようか、という農家さんも何戸か出ています。辞めようかという農家さんが(家畜排せつ物法に対応する対策を)何もやっていなかったわけじゃなくて、簡易堆肥設備をつくって何とか(法律の施行期限に)間に合わせたという状況ですが、実際にはこれからもっと家畜の糞尿対策は厳しくなりますので、やっていけない(離農する)方が出てきます。その中で、最低限49,000t を私どもで確保するのにどういう対策をしたら良いのか?ということで、3年前から乳牛の導入に補助金を出しています。初妊牛と言いますが、胎(はら)んでいる50万円位する牛には、昨年までは10%の補助をしています。ですから、50万円の牛を1頭買ったら5万円あげますよ、という形で牛を増やす対策をしています。


「生処販の「販売」と関連事業」
牛乳製造の株式会社ミルクの郷に、サツラク農協は70%の出資で、30%は雪印乳業が持っています。日処理量は130t、そのうち8割が飲用牛乳です。他のところと違うのは、他の乳業メーカーが市乳化率という牛乳を作っている割合は50%ぐらいです。サツラク農協は80%が牛乳というちょっと特異的な工場なのです。
生処販の最後の「販売」の方は先ほど言いましたように8割が牛乳です。道内のスーパーのイオングループ、西友、ラルズ等のアークスグループ、それからコンビニ、それから生活クラブ生協北海道、道外では東京と大阪、東北、関東、大阪の方にもエリアがございます。牛乳以外にも商品の開発、販売戦略といった部門がございまして、新製品の開発も行っております。この写真が丘珠のさとらんど"という農業公園にあります「ミルクの郷」で、牛乳工場と市乳事業部という販売事業部がございます。平成7年に竣工しまして、もう10年経っています。牛乳関係だけじゃなくて、たくさんの事業展開をしています。
貯金とか融資、あるいは共済事業もやっています。こちらの方はJAバンクという、JAバンク法に基づいた法律で、全国組織に加盟しております。
配合飼料・肥料・資材等の購買の中で、配合飼料については苗穂(札幌市)の本所に配合飼料工場がございまして、組合向けの独自の配合飼料を作っております。診療・人工授精については先ほど言いましたように家畜診療課というものを設けまして、獣医さんが常駐してやっております。先ほど乳牛導入についてのお話をしましたが、乳牛の斡旋事業〜育成牛とか初妊牛の販売の斡旋をしております。
さらに、肉牛の肥育牧場がございます。これは千歳空港のすぐ近くで約1,000頭のホルスタインの雄牛を飼っています。これが千歳牧場の写真なのですが、カーフハッチが70基並んでいます。これが餌のタンク、こちらが哺乳が終了した後の離乳後の牛舎です。全ての牛舎が、牛舎とパドックというペアで分かれています。牛舎の数が全部で10棟あります。これがビニールの屋根を使った堆肥舎です。食肉の販売もやっています。先ほどありました生活クラブ生協に食肉を、金額にして4,000万円くらい販売しております。それと市乳・乳製品の販売で、これだけの事業を展開しています。


「現在の取り組み〜暑熱対策、営農支援と新商品」
今現在の取り組みは、先ほどお話しましたが、夏場の暑熱対策ですね。夏場の乳価を高くする対策を5ヶ年計画で行っております。もう1つ、営農支援対策という……、JAバンクの部門の融資と技術の部門・獣医さんや購買の専門家とかが一緒にタッグを組んで、どうやったらこういう融資をして、この農家が大きくなれるか、という支援をしているところもございます。それと、サツラク農協のアピールという、昨年から愛情100年品質という形で100年の歴史を前面に出して新商品の投入とか商品のリニューアルを行っています。


「トレーサビリティの取り組み」
技術的な問題では、トレーサビリティあるいはHACCPの導入に取り組んでおります。牛肉トレーサビリティ法というのが昨年の12月1日から施行されまして、以前からあったのですが実際に法律になりまして、皆さんご存知かと思いますが、生産から流通・消費に至るまでいつでも牛の個体の識別・確認ができるということが前提になっています。牛ごとに個体識別台帳を記録管理して、出生報告から耳標の装着、譲り受け・譲り渡しの届出、屠畜の年月日の届出、牛肉に個体識別番号を記載する、店舗で個体識別番号を公表して、どの牛の肉かがわかるようにするのがこの牛肉トレーサビリティ法です。サツラク農協でトレーサビリティの取り組みはどうやっているかというと、牛肉の方がもう12月1日から始まっていますので、その法律の施行に伴って情報開示しております。生産地の情報では飼料給与情報などを行っております。ちなみに北海道酪農畜産協会というところでは北海道内の牛肉生産者のトレーサビリティに関する情報を公開しており、これがホームページですが、北海道産牛肉情報公開システムに個体識別番号を入力すれば、どこの牧場の牛かがわかります。このシステムには私どもは参加してないです。
牛乳についてはどういうトレーサビリティの取り組みがあるかというと、NON-GM牛乳というのがございまして、これは非遺伝子組み換えの餌を使った牛乳です。私どもの配合飼料工場でNON-GMの配合飼料を作ってそれで生産者が限定製造して販売する、ということで生産から販売まですべてトレース可能ではないかと考えておりますが、今のところはまだ構築されてないです。
これは牛肉トレーサビリティ〜私ども独自でやっています。サツラク農協のホームページはわりと人気ありまして6万3,000件の検索が半年くらい前からありました。トレーサビリティというところがありまして、ロット番号を入力するとこのように個体識別番号、生年月日、品種名と性別、生産者がわかります。カーフミルクとかカーフスターター・サツラク○○18・ビール粕・乾草……こういう餌を食べさせた牛の肉ですよ、という形で記録しております。それと、屠畜の年月日・屠畜した場所・牛肉の加工は○○で、という形で公開しております。


「HACCPの試行」
もう1つの取り組みとしてサツラク農協では牛乳については平成11年に製造工場としてHACCP〜総合衛生管理化製造過程の承認を受けているということです。今北海道でも問題になっているのが酪農生産現場でHACCPを導入できないか?ということで、北海道・ホクレンとサツラクで協力体制を組んで、私ども組合員も2戸参加して、HACCPの導入の試行をしています。牛肉については現在道内でHACCPを導入しているのは早来町の1戸だけで、そちらの方では北海道と協力し合ってHACCPをもうすでに導入したということです。私どもの千歳の肉牛牧場でも何とかそれにならってHACCPの検討・研究に入っている状況です。


「NON-GM牛乳と生産者牧場限定シリーズ」
先ほどでましたNON-GM牛乳に賛同されている組合員が12戸あります。12戸の組合員から約10tの牛乳を集めてNON-GM牛乳を作っております。これは生活クラブ生協北海道と共同開発したため、実際にNON-GM牛乳という名前が出ているのは生活クラブ生協の北海道の牛乳だけです。ただ、それだけでは牛乳は余りますので、ちょっと形を変えて一般市場ではその生産者限定牛乳という形で売っております。細かい部分ですが、こちらのスライドが生産者牧場限定シリーズ、普通の殺菌牛乳、ヨーグルト、それとプリンです。こちらは生産者牧場限定牛乳の説明が書いてあるところです。生産者限定契約牧場というのがありまして、三笠とか恵庭、江別、北広島の12戸の酪農家さんがNON-GM 牛乳の生産者でがんばっておられるところです。


「受乳から製品までの過程」
最後に牛乳の製造の過程について、もう1つスライドがあります。皆さん勉強されている方もいらっしゃると思いますが、搾乳から集乳して、受乳というのが牛乳工場の受け入れるところです。ここでバルク乳という先ほどのタンクローリーの牛乳の検査をします。
1番食品衛生上厄介なのは抗菌性物質ですので、タンクローリーを待たせて、簡単に3分くらいで計れるスクリーニングテストがありますので、そこで抗菌性物質をまず計って、その上で受乳をします。受乳をしてクラリパイヤーというタンクに入ってから遠心分離機で牛乳を清浄化します。細かいゴミとかが入っていますのでそういうものを清浄化して、今度は貯乳タンクに入ります。貯乳タンクに入った段階で最終的な原料の検査をします。乳成分・細菌数・体細胞数・抗菌性物質と、風味・比重・酸度という最終的な牛乳製造前のチェックをします。その後、殺菌の工程に入る前に、工場内でアルコール検査・風味検査をします。ノンホモ牛乳というのもありますが、通常の牛乳についてはホモゲナイザーで脂肪球を均質化して、それで殺菌します。殺菌方法は、私どもは低温殺菌牛乳もやっておりまして、普通の牛乳については130℃以上の超高温殺菌といわれているUHT牛乳がほとんどです。それともう1つは63.5℃30分の低温度殺菌で製造しておりますそのあとサージタンクと言われております貯乳タンクに入って、それから充填の工程に入ります。
充填の工程のところで、冷蔵庫に入る前にサンプリングします。そこで製品の検査〜大腸菌群数と一般細菌の検査をして、風味検査をして、比重・酸度を計って、製品としての集荷体制が整います。先ほどからお話しましたように、通常の農協さんは、集乳のところまでは農協さんですが、受乳から製造までは普通の農協さんではやっていないということです。
経済部とありますが、今私がいるところなのですが、これが営農関係の部署です。次に製造部門でミルクの郷という株式会社の工場が製造して、市乳事業部という販売部門で販売するという形です。今出ている牛乳の主なものはこちらの方の、新しくリニューアルしたものだけです。私どもの牛乳はPB牛乳というのが多くて、イオングループの牛乳もPBで、東急とかラルズとか、そういうところでもPB牛乳で、実際にはサツラクという名前ではないです。なかなかサツラクという名前が表に出てこないので、純粋にここにあるサツラク牛乳というのは、皆さんはご覧になったことはないかもしれないのですが、ダイエーさんとイトーヨーカドー以外では、牛乳をお買い求めになるときに、表示のところをご覧になってください。そこに、株式会社ミルクの郷製造と書いてございますので、それはサツラクの牛乳でございます。もしそういうものがございましたら、そちらを第一にお買い求め頂くようにお願いします。
ちょっと早いですけれども、以上で私のお話を終了させて頂きたいと思います。ありがとうございました。


「質疑応答」
「PB 牛乳とは?」
PB牛乳はプライベートブランドの略です。スーパーマーケットの戦略として、自分のブランド牛乳が欲しいところは、もう十数年前から付加価値をつけて、通常の牛乳よりも高く売ろうと組んでいたように聞いています。ただ、今現在は特売の競争が目立っています。スーパー独自のプライベートブランド牛乳も同じように埋没して、普通の牛乳と同じように売られておりまして、あまり付加価値のついた牛乳には、今現在はなってない状況です。ただ、どこのスーパーも他のスーパーと競争ですから自分のブランドを持ちたいので、そういうPB 牛乳がどこのスーパーにもある、ということになっています。

「アウトサイダーとは?」
アウトサイダーと言われているのは北海道だけなのです。酪農専門農協というのは日本全国にあるのですが、都府県についてはアウトサイダー、インサイダーの区別がないのです。それぞれに独自でやっていいよ、という非常に緩やかな規制なのです。ですからアウトサイダーかインサイダーのどちらかわからないよ、という状況です。北海道でインサイダーは確固としておりまして、それは日本全国の3割が北海道の牛乳ですから、そういう意味では非常に強い……、つまりホクレンさんが非常に強いということなのです。アウトサイダーというのが私どもも含めて、函館に1つと、町村さん(江別市の酪農家)もそうですけれども、他には道東の方に1軒あったのですが、そちらの方は販売力がなくてアウトサイダーを断念したので、主なところでは、函館酪農公社さんとサツラク農協となっています。
皆さんいろんなご出身、北海道生まれでもいろんなご出身の方がいらっしゃると思いますけれども、自分のところで独自で作られているところありますよね?牛乳を。あれは農家が生産してホクレンに売ってから、またそれを買って作っているのです。そういう農家さんの集まりが北海道内で販売しているところはいろいろあります。ホクレンさんに聞くと30軒くらいあります。それはホクレンさんが委託しているという形なので、アウトサイダーではないということです
「北海道の場合ですと、例えば明治牛乳とか、いろんな牛乳の会社がありますけれども、それも全部ホクレンからいっているという風に考えてよろしいのでしょうか?」。
そうです。
「そんな風な仕組みになっています。ですからサツラクは結構厳しいんですよね。何が厳しいかというと補助金がないのですね。補助金なしで、その中で生産をやっていくということですから、製造・販売までやっていくということですから、結構厳しいところがあります」。
「サツラクさんと雪印はどんな風に……、雪印のああいう状況をみて、サツラクとしてはどんな風な対応を考えてやってきたか? 差し支えのない範囲で話をしていただければと思います」。
それはちょっと難しいご質問で……。どこでもああいう事件が起きる可能性があるのです。雪印さんにしても最終的には大樹の牧場での停電が原因だったと……、それをわかっていて、脱粉にして出してしまった……。最初は小さいところなのですね。小さいところでのチェックができなかったのです。先ほども言いましたようにHACCPとか、その品質管理のところでチェックするということ……、当然雪印さんでもチェックしていたと思います。あとはその社内のコンプライアンスと言いますか、意思の疎通というのが非常に大切だということで、私どもの方でもコミュニケーションがうまくいくようにやっております。雪印乳業さんというのは技術力では日本では抜群なのです。商品開発力もそうなのですが、品質管理も抜群の力を持っておられる集団なのです。私どもの株式会社ミルクの郷の工場長は雪印さんから事件の前に出向された方です。もう6年くらい工場長をやられていますが、非常に技術のある立派な方です。今でも雪印乳業さんからの出向の方が3名ほどいらっしゃいます。その方たちは非常に技術力がある。我々も見習わなければならないほどの力も持っているし、そういう集団だったんですけれども、ちょっとしたことで崩れてしまった、というところで、本当に非常に残念だな、という風に思います。

「遺伝子組み換えをしていない餌を使うというNON-GM牛乳は、全国的にどのくらい作られているのか?」
まず入口のところで、ほとんどの非遺伝子組み換えの原料は、皆さんご存知だと思うんですけど、全農さんが非遺伝子組み換えの、例えばトウモロコシを握っています。牛の餌はトウモロコシとダイズ粕が1番重要な原料となっているのですが、両方とも全農さんがほとんどすべて輸入しています。アメリカから来ているのですが、アメリカの現地法人と提携して全農さんが遺伝子組み換え、非遺伝子組み換えの栽培に関与して、それで日本に輸入してきています。つまり原料のトウモロコシやダイズ粕は全農さんから頂いているという形です。他のNON-GMをやってられるところもそうだと思います。先ほど私どものNON-GM牛乳を販売しているのは生活クラブ生協だけだとお話しをしましたが、生活クラブ生協には連合会が東京にありまして、そちらでは北海道よりも2年ほど先にNONGM牛乳をやりだし、連合会の方は独自に牛乳工場を持っておりますので、本州は本州でNON-GM 牛乳は東京を中心として展開しているとのことです。
もう1つはよつ葉乳業さん、よつ葉乳業さんも名古屋・大阪を中心としてよつ葉会という生協のような集まりがございまして、NON-GM牛乳を展開しています。北海道ではおそらく出てないんじゃないかなと思います。それと先ほど言いました函館の酪農公社さん、アウトサイダーの方なのですが、NON-GM 牛乳を出しています。私の知る限りではそんなところです。

「アメリカの人が飲んでいる牛乳の餌というのはNON-GMなのでしょうか?それとも遺伝子組み換えした餌が多いのでしょうか?もしわかりましたらお願いします」
今年の秋から有機畜産物の認定制度がそろそろ出来上がるのではないかなと思いますが、農水省で今諮問している最中だと思います。有機畜産物には牛乳も肉も入ります。有機畜産物の原料は、例えば配合飼料の場合には非遺伝子組み換えに限るというのがあるのです。コーデックス委員会という農作物・畜産物の規格を決める国際機関があり、日本も参加しています。日本で認定されています認定機関がありますが、畜産物についてもコーデックス委員会で決められたものと同じ制度を作っていこう、という形になっています。ヨーロッパやアメリカでも有機農産物はもちろん出回っています。そういう意味では有機畜産物=NON-GMですから、実際にはNON-GM牛乳は多くはないとは思いますが、出回っていると思います。

「世界的にはほとんどの牛乳が低温殺菌で作られていると聞く。アメリカ人に日本の牛乳を飲ますとびっくりして、これは何だ? 何か入れているのか?"という風に言われることが多い。それは日本の牛乳のほとんどが高温殺菌だからだと思うのだが、日本でなか なか低温殺菌の牛乳が増えてこない理由は?」
まずUHT牛乳と言われている125〜130℃2秒の牛乳が日本ではほとんどで、96〜97%です。UHP牛乳がヨーロッパでどういう位置づけにあるかというと、LL牛乳なのです。滅菌牛乳なのです。120〜130℃の2秒間殺菌というのは滅菌牛乳の製造手法なのです。ですから、日本が取り入れたときには滅菌牛乳の殺菌手法じゃないと、生乳の品質が悪すぎてクリアできない状況だったのです。先ほどの生乳の検査のところで細菌数が30万個以下というのがありましたが、今実際にどうかというと1mlあたり5,000個以下という生乳が私どもだと90%です。食品衛生法の乳等省令の中で生乳と言われているものの規格は1mlあたり400万個以下です。ヨーグルト並ですね。そういう規制がまだ生きているのです。この法律は昭和27年頃だと思うのですが、50年以上経ってもずっと改正されてないのです。そういう中で戦後牛乳が普及されるときに雪印乳業とか明治乳業や森永乳業の技術の専門家と農水省が集まって、どういう風にしたら良いだろうと考えて低温殺菌牛乳という案が出たそうです。ただ低温殺菌牛乳だと細菌の死滅率が97%くらいなのです。そうすると3%は生き残っている、例えば細菌数100万個の牛乳だと3万個は残っているのですね。3万個の牛乳は認められるかというと、残念ながら牛乳というのは3万個以下でないとだめなのです。これもちょっとすごいですけど〜細菌数が3万個の牛乳というのは今ほとんどないと思いますので……、だいたいUHTだと0個、低温殺菌牛乳でも10個以下ですね。低温殺菌で細菌の死滅率が97%とすると、400万個の場合は12万個残っているので牛乳にならない、そこで、当時の法律を作った専門家たちは滅菌法によらざるを得ない……、というわけで、日本独自のUHT法というのが出来上がったわけです。そして、その牛乳に皆さんもずっと……、おばあちゃんの時代くらいからそういう牛乳に慣れているのです。その牛乳(高温殺菌)は濃く感じるのです〜こげ臭で。120〜130℃で殺菌すると、今プレート殺菌と言うんですが、こげ臭がでるのです。そういうものが「コク」があって美味しいと……、もう3代続けばもう変わらないです。味覚がずっと受け継がれますから、変わらないです。それで改めて低温殺菌牛乳を飲んで、おそらく低温殺菌牛乳を飲まれいてる方もいると思いますけど、初めて飲んだ方は薄い と感じます。成分は一緒でも薄く感じるのです。それが牛乳の本来の味だというのがなかなか定着しないというのが、日本はUHT牛乳が97%、というところに現れているのではないかと思います。




都市近郊酪農の実践

「百瀬牧場」
みなさん、こんにちは。たぶん頭の中真っ白くなりますので、何言ってるかわからないかもしれませんけど聞いてください。宜しくお願いします。


<建物>
これは、古い建物ですけど、昭和30年くらいに建てた最初の牛舎です。改造を重ねながら現在に至っております。この中でも何人かうちに来られた方もいると思いますけれども、決して敷地全体も手本になるような状態ではありません。見てのとおりです(図10、115頁)。


<家族構成>
家族の構成ということで、子供がたくさんいます。長男次男が双子で、中学校2年生です。
三男が小学校6年生、四男が小学校1年生、あとは父母がいます。


<乳量>
これが、ここ何年かの乳検データですが、平成7年に改築して増頭しました。平成10年から放牧を始めたのですが、それまではつなぎ飼いで飼っていました。
放牧になってからは、1万kgになっていますけれども、特別放牧で1万kg搾ろうという意識は持っていませんでした。いかに放牧草を有効に使うかということを考えて、考えた結果がこのようになったかなと考えています。


<所得率>
グラフではこんな感じですが、所得率は最初の頃のほうがよくて、白色申告をしていたのですが、平成9年に突然青色申告になったんです。申告の仕方をわかってなかったので、大変な損をしていたということもあります。だから、正確な数字ではありません。所得率は若干上がってるようにも見えますが、決してそんなにいい数字ではないですね。放牧は餌代はすごく下がるというイメージをお持ちだと思いますけども、舎飼いのときから比べるとだいぶ下がってはいるんですけども、私の場合は食わせてる方だと思います。


<防疫対策>
防疫対策は特別力を入れてはいないんですが、獣医さんもヘルパーの方にも、やはりあった方がいいと言われたんで置いたっていうだけなんです。いつでも安心して来れるって言われたんで。最低限のことをやってるかなっていう感覚でやってます。


<搾乳施設とゴムマット>
パイプラインでユニット5台自動離脱です。ゴムマットは、古い施設新しい施設あって、いろいろ入れ
てはいるんですけども、ゴムマットはある程度年数がたってみないとわからないという部分は、かなり難しいですね。農家の話はいろいろ聞くんですけど、使い方によっても随分ばらつきがでてきますので、自分のところに合うものも選ぶのは、なかなか難しいです。


<堆肥舎>
堆肥舎は約100坪くらいで、何年か前に建てました。手前に尿溜めがあるんですけど、200tくらい入るようになってます。この施設は堆肥舎に全て傾斜をつけて、全て尿溜めに排汁が入るように作りました。建築屋さんに言ったらできないって言われたんですけども、できないんなら俺がやるという風に言って傾斜は敢えてつけてもらいました。うちの堆肥をつくるのには、排汁がすごく大事なんです。だから、排汁にはすごく重点をおいて、こだわって作りました。江別の角山に、米村さんという、堆肥に関してはすごい方がいるんですよね。大好きだし知識もたくさん持ってる方なんですけども、その人とも普段から交流させていただいて、いろいろ堆肥のことを話しています。堆肥ができてくると、堆肥作りってわりと楽しいんですよね。処理してるっていうよりも作っているという感覚でやってます。堆肥作りは、微生物が動き出すまですごく時間がかかるんですけども、一度動き出すとその環境をあえて変えない限り、ずっと動き続けてくれるんですよね。
うちも、建って2、3年はちゃんと動かなかったんですけど、やっと動くようになって、手を抜いてもちゃんとした堆肥になってくれるという状況です。堆肥に限らないんですけども、自分にあったシステムっていうのがすごく大事だなって最近はすごく思います。


<飼料作り>
飼料はロールパックと乾草です。以前は、早刈りは栄養価が高いということで、極端な早刈りをしたり、ロールパックの質を求めて、高水分なものも作ってみたんですが、すごくいいものはできるんですけども、自分に使いやすいものを考えて、今は低水分のものを作るように心がけています。
粗飼料に関しては、自分が収穫しているのは牧草しかないんで、機械も最小限しか持っていません。とてもコスト削減には役立ってる気がします。あと、放牧もやっていますので、放牧期間中の乾草と冬の餌という風に考えているので、非常に少ない量で済んでいると思います。舎飼いオンリーの農家から比べるとだいぶ量は少ないし、もし余っても、使う分しか最終的には残していません。


<放牧地>
放牧地は12ha、採草地35ha、それと施設全体で約2haほどあります。作業は2人でやっております。最近は子供も手伝ってくれるので、楽になりました。放牧地は、搾りに約9ha、育成に2ha、乾乳に1haを、全て専用放牧地として使っております。


<以前の仕事>
私は結婚して、30歳になってから就農しまして、Uターンです。それまでは会社員として勤めていました。こういう鉄工所や土木などの建築関係、体だけですむような仕事をずっとやっていました。あとはバスの運転手をだいぶ長くやっていました。そんなかんじで、基本的には酪農をやろうって頭は一切ありませんでした。


<前の仕事が酪農に役立ったこと>
酪農って、すごく牛以外の仕事が多いんです。それで、以前の仕事が非常に役立っています。一応江別酪農家の便利屋と呼ばれています。ある程度の仕事は出来るので、自分でも非常に便利だと思っています。何でもできるわけではないのですが、機械を見ていると、新しいものも古いものも、ある程度仕組みがわかるんですよね。仕組みがわかってくると壊れそうなところもわかってくるんですよ。そして、壊れそうなところがわかるとこれが壊れたらどうを直せばいいかってことも事前に考えられるんですよね。だからそういう分では非常に役に立って、壊れたらすぐ直しています。
この便利な部分もあるんですけども、逆に時間がかかる部分もあって、専門の方に見てもらったほうがよっぽど早かったということも当然あるんですけども、だいたいのことなら自分でやった方が早いと思います。

<就農の動機>
就農した動機は、うちの親の体調がちょっと悪くなった時期がありまして、戻ってこないかと言われた
のがきっかけですね。しかし、そのときにちょうど会社でも行き詰まりがあったのが、本当のきっかけだったのかもしれません。まだ皆さんわからないかもしれませんけども、会社員の対人関係のストレスというのは計り知れないものがありまして、それはたぶん会社員になってみないとわからないと思います。また、このときはバス乗ってたってのもあって家にはあまり帰らなかったので、不規則な生活への不安もありました。
酪農の仕事に関しては、子供のころから手伝っていたので不安はありませんでした。しかし、私が知ってた酪農っていうのはお手伝い程度だったので、酪農を甘く見ていました。ほんと表向きだけの酪農しか知らないんで、たいしたことないだろうと考えて、家に入りました。これは後で思ったら間違いないんですけども。妻と十分な話し合いを持って結論を出したってい
うこともありません。なんとなくいいべーってかんじで家に入りました。まぁ半分騙したようなかたちにもなりましたね。

<就農して最初の3年間>
最初の3年くらいは、ただの手伝い状態でした。仕事も当然わからなく、責任も感じずなんとなく仕事をこなすという状態だったと思います。そのときも当然不満というのは会社員と同じでとても持っていましたね。また、休みの不足・仕事の不規則に就農当初はとまどいを感じました。最初の頃は、休みっていうものがすごくうらやましいなという風に思ってました。

<3年後>
だいたい3年くらいを過ぎたころから、酪農のおもしろい部分っていうのが少しずつ見えてきたかなと思います。酪農の全ては見えていないので、部分的に、なんとなくおもしろいな、種をまいたら芽が出るな、というように感じました。おもしろくなってからは、いろいろなことを試すこともできたて、どんどん入り込んでいきました。

<5年後>
30から入って、35くらいから、ある程度経営を委譲してもらって、自分の責任で仕事をするようになっていきました。そのころ、5年もやってれば仕事は見えるし、自分で全てできるという風に勘違いしていました。しかし、自分が決断をして仕事を進めなければいけないということが、すごく難しかったです。やること全てが失敗して、自分の思った方向に進んでくれないんですよね。やはりお手伝いと経営者では、決断をしなきゃいけないっていう部分で、完全に視点が違ってるんですよね。その視点が違うっていうことが、難しかった。だから自分で決断して、自分のペースで仕事をするまでは、経営を譲ってもらってから3年近くかかったと思います。

<視点と決断>
自分で決めるっていうことはすごく簡単なようですごく難しいです。牧草1つ刈るのでも、いつ刈ったら
いいんだろうって聞かれて、聞かれて失敗しても責任はないし、雨が降っても責任がないから、お前が刈れって言ったからって言えるんですけども、自分で決めたら最後まで自分で責任をとらなきゃいけないんですね。これがもうすごく自分を成長させてくれた部分ではないかなと思います。

<酪農の仕事の配分>
ある程度自分のペースになってくると、休みとか不規則って言う部分が自分である程度コントロールできるようになるんですよね。酪農の仕事って、毎日大変だねってよく言われるんですけ、絶対に休めないっていう部分ではとても大変なんですが、他の作業は、一つ一つ短期間で終わるんです。一番草なんかは、早い人は1週間くらいで終わるんでしょうし、うちなんかは、一番草だと2週間くらい、二番草だと1週間くらいで終ります。だから酪農家って集中してすごく忙しいんですけど、それ以外って案外暇だってことに気がつきました。後はいかに仕事を効率よくやるかっていうところが大事なんです。毎日絶対やらなきゃいけない仕事をうまくコントロールすれば、時間はたっぷりあります。あと、人に使われない自分のペースでの仕事の気軽さがあり、ストレスが大幅に減少しました。逆に人に使われていると責任がないという気軽さがあるんですが、自分のペースで仕事できる気軽さっていうのは、やってみるといいもんだなと思ってます。

<酪農のサイクル>
酪農のサイクルは基本的に長いんですけども、早く結論が出る部分も多く、取り組みの結果がすぐにでたりして励みにもなります。
酪農のサイクルは基本的に、牛にしても牧草にしても、1年1回しかやってないんですよね。例えば牧草を一度失敗すると、次の年になって、そのときに原因を掴めれないとたぶんそのまま2年3年といつまでも引きずるんですよね。牛にしても早くて1年1産ですし、育成牛なんかは経産牛になるまで最低2年はかかりますし、非常に長いんです。
でも、栄養管理は、今の状態をすぐに改善してすぐに答えが出ることがあって、そういう点は大変おもしろいです。でも、うまくいった栄養設計でやっても、次の年の粗飼料が変わるとそれがすべて崩れてしまう危険性っていうのがあるんですよね。それをなんとか解決したいと思うんですが、解決するにはほんとに時間がかかるんです。自分でもまだ決してうまくいってるわけではないんですが、すごく楽しい部分でもありますね。長いサイクルのものと、短いサイクルのものとの関係を理解すると、先を読むことが出来て、酪農は非常におもしろいなって思います。
 

<経営方針>
こだわりは一切ありません。牛だから草っていうこだわりも全然ないし、放牧も絶対しなきゃいけないっていうこだわりもありません。都合悪ければすぐにでもやめれるような感覚でもあります。そのときの条件を活かして、そのとき一番いいと思う方法をとるようにしています。酪農技術っていうのは流動性があって、こないだまでダメだって言ってたものがすごく良くなったり、次から次に新しい技術が出てくるんです。だから、あまり振り回されないように、情報をしっかりと自分の中で?み砕いて、いいものか悪いものか、自分に合うか合わないかというのを考えることを意識しています。それを考えるのも一つの楽しみでもあります。

<基本的に一人で作業>
基本的には、牧草収穫は、一人で作業できるようなかたちに意識してやっています。機械もなるべく効率の良いものを使うようにしています。
酪農は家族全員が働かなければならないのか疑問がありました。普通サラリーマンは、父さんが年間何百万も稼いできて、母さんは家で待っていて、父さんの収入で家族を支えてるっていうのが、当たり前のことだと思うんですね。実際に自分もそうだったんで、それが当然だっていう感覚を持ってたんですけども、農業っていうのは家族全員で働く、で当たり前っていう感覚があるんですよね。酪農の息子さんとか娘さんだったらわかると思うんですけども。俺も酪農家の息子なんですが、それに対してすごく違和感があって、嫁さんを使って無理やり働いて、最終的にたいした収入も上がらないなんていうのは、かっこ悪いなっていう意識がずっとあったんですよね。だから、自分はそうじゃなくしたいなと考えて、極力自分の気持ちだけでも、当てにしないようにしようっていう気持ちをずっと持っています。最終的には手伝ってもらってるんですけども。でもなんていうか、経営者の方からお前らは働かなきゃいけないんだよっていう風には絶対言いません。お願いだから手伝ってっていうかんじで。
おんなじ働くにしてもたぶんこっちの方が心地いいと思うんで。
自分が酪農に入ったときには、結婚して、子供も生まれてからだったので、入ってすぐは、うちの嫁さんは、酪農はまるっきり関係なく、牛舎にも行ったこともないような状態だったんです。だから結局は自分と親でやってました。そんなかんじで、だいたい10年くらいはうちの嫁さんは、酪農に関してタッチしてませんでしたね。それでいいかなと思っていました。
しかし、うちの親がだめになったときに、実際に一人でできるのかって考えると、やっぱりちょっと無理なんですよね。一人でそれなりの頭数、採草地なんかも持って作業しようと思うとどうしてもできないんです。
だから、それをクリアして、自分の嫁さんや子供をなるべく当てにしないで、経営をしていかなきゃいけないなっていう気持ちを常に持ってました。でも最近は、私がいっぱいいっぱいになって働いてるのを見ると、うちの嫁さんが自然と手伝ってくれるようになりました。でも、朝の牛舎作業の時に、嫁さんがもし寝てたら絶対に起こさないですね。気がついたら来てやっててくれるっていうのが今の形です。そういう姿を見て、子供たちも自然に手伝ってくれるようになってきました。だから、今はちょっと楽になってます。でもいつまでも当てにしていてはだめだとわかってるんで、アルバイトさんに働いてもらおうとは思っています。

<なぜ放牧を取り入れたか>
放牧始めたのは平成10年なんですけども、それまでは普通の舎飼いだったんです。小麦作ってデントコーン作って牧草、という風に考えてやってました。でも、粗飼料の種類が多いと、毎日の手間も大変だし、まきつけなどの作業も忙しくなってきました。栄養面も、どんどん難しく複雑になってきますので、どうも自分には合わなかったっていうのはあります。それで、SRUで土壌改良をやったんです。SRUっていうこと自体みなさんわかんないと思うんですけども、土壌管理のコンサルタントをやってる方がいまして、そのコンサルタントを受けている人たちの集まりをSRUっていうんです。年に1度か2度集まって、みんなと情報交換なんかをして勉強しています。いまだに数字とかよくわかんないですけども。放牧に関しては、最初は10haくらいしかないんで、できないっていう方がいたんですよね。でもいろいろ勉強してるうちに、ちゃんとした放牧じゃなくてもいいやって考えるようになったんです。ある程度の条件さえ満たされてればとりあえずは表に出すことはできるんだと考えて、やろうと決心しました。そのときに普及員のがすごく前向きにがんばっていただけたので、半分引っ張られたような形でやることになりました。

<注目されて>
ある程度結果もでてくると、注目もされるようになりました。注目受けるようになってくると、これをい
まさらこけたらかっこ悪いなっていう考えがすごく出てきました。だから、今はだいぶ慣れてきましたが、最初のころは必死に取り組みました。でもこの注目を受けるっていうことは、自分にとっては大事だったなって感じてます。

<放牧地の開始準備>
平成9年に放牧地の補強を始めて平成10年より本格開始しました。草種はペレニアルライグラスを主体に、簡易牧柵を設置して秋に本格的に開始しました。あと、出入り付近の泥ねい化を防ぐために、泥ねい化防止用クリンプなんか、干場先生に大変お世話になって、試してみることができました。
あと、放牧地の土壌分析と施肥管理。あの、施肥管理というのはとても放牧にとって難しい。最初は随分失敗もしました。SRUなんかでの話でもある程度、土壌分析的にはいいという結果がでているんですけれども、施肥管理によって全然変わってくるっていうのがやり始めて、初めてわかったんですけども。この土にはこれだけいれなさいっていう処方みたいなのがでてくるんですけども、でも一度にいれてしまったり、かといって今度それを、肥料がきれているのをわからずに遅れたり、という部分では、なんとなくできるようになるまで、最近までかかりました。放牧に対しては施肥管理というのはすごく大切だなとつくづく感じてます。これに失敗すると、掃除刈りなどの余計な仕事っていうのが増えてくるんですよね。あとは、最初牛がなかなか食べてくれなかったんですよね。なぜ食べないのかわからず、最終的には施肥管理だったりもしたんですけども、とりあえずカルシウムをかけてみようということでかけたりもしました。あとは、糞だとか尿のにおいじゃないかという話で、炭もまいたりもしたんですけども、これといった効果はなかったですね。
あと、放牧にしてよかったこと、これはあれですね、

<放牧にして良かったこと>
1.労働が楽になった
放牧にして良かったことは、労働が楽になったことです。時間的にはそんなに変わらないんですけど、牛舎内での仕事っていうのはすごく減ったんです。おんなじ時間働いても働いたっていう気もしないし、まぁ雨の日なんかは大変なんですけども、天気のいい日なんかはほんとになんか、仕事っていう感覚もないんですよね。だから非常によかったと思います。

2.堆肥処理
あと、夏期間の堆肥処理が楽になりました。水分の低い糞がぼんぼんでてくるので、ほんとにいいものが作りやすいような状態で。これはいいところです。それで、夏のいいものがあることによって、冬の堆肥も多少水分混じった堆肥でも、すごく動きやすい、っていう部分もありまして、堆肥もスムーズに作れるようになってきたと思います。

3.気楽である
先に言ったんですけども、注目を受けることで、励みにもなること、比べる事例が少ないので気楽であることです。これはもっとも大きくて、あまりまわりを気にせず自分なりにやってくってのは非常に気楽で、自分で答えを見つけると、それもすごく楽しいっていうか、嬉しい部分でもあるし。モデルが少ないので工夫するっていうのも一緒ですね。

<放牧の問題>
放牧をやりだすとすごく問題がおきるんです。原因を突き止めるのにも時間がかかるし、そこからどう解決してこうかって考えるのに時間がかかりました。
最初の普及員の方は行動力が素晴らしい人だったんですが、その後、その方が移動して、次に栄養管理に非常に詳しい方が来られたので、放牧の栄養管理に気をつけて、いろいろやりました。問題を大きくわけると、夏場に、有り余るタンパクをいかに有効に使うかというような問題が出てきて、次に秋にはなぜか乳量の落ち込みが激しくて、そして冬はビタミン不足が起こります。夏場には過剰なほどのビタミンをとってるのに、舎飼いになると、ビタミンが不足になりますので、色々問題が起こるんです。それを見つけるまでもずいぶん時間がかかりましたし、解決するにもほんと大変時間がかかりましたね。でも、それを解決してくにしたがって乳量もどんどん出てったわけなんです。
また、乳成分の維持確保が難しいです。脂肪が落ちるっていうことは非常に乳価にとっては影響あることなんです。仕方ないと考えたほうがいいんですけど、出荷先にとって求めてる牛乳っていうのがあるんです。最低乳成分が決められていて、体細胞や細菌数も、これ以下にしてくださいっていうのがあるんです。やはり、そこに売っている以上はそれに沿った牛乳を出す義務があると思うんですよね。それで、その義務を果たすというのは放牧にとっては非常に難しくて、努力しなければならないので、ほんとに大変です。
基本的に酪農ってお客さんがいない商売なんです。消費者がお客さんなんですけども、直接的じゃないんですよね。それは乳業メーカーがやることで、酪農家にとってお客さんっていうのはほんとは農協なんですけども、その農協っていうのは、自分が出資者なんで、立場が逆転しているんです。だからなんでも言えちゃうんですが、やっぱりそれは、人として言っちゃいけないと思うので、求められている物は絶対作ろうっていう意識はあります。

<放牧管理>
牧草の生育ステージに合わせた放牧管理は、非常に難しいんですよね。当然春はどんどん伸びますし、秋は急に伸びなくなりますし、そのばらつきをいかに最小限に抑えるかっていうのが非常に難しく、時間もかかります。最近は、なんとなく、こうすればコントロールできるっていうのがわかってきたんですが、すごく難しい部分だと思います。このばらつきを少なくすることによって、牛舎内での餌の管理がすごく簡単になってくるんです。だから、合わせるのは難しかったんですが、コントロールできるようになって楽になってきたし、牛の能力も安定するようになってきました。
これが、だいたいの放牧地の構図なんですけども、全てペレシロクローバーの放牧地です。うちの放牧管理のシステムはちょっと違ってて、外回りしか線をはってないんです。中は一切張っていません。中は毎日カイサクで仕切るようにしています。ここに縦線なんかも入っていますけども、これもおおまかなんですけども、毎日仕切っています。草の量というか、再生量っていうのを見ながら放牧面積を決めてます。だいたい1周するのに10日から2週間くらいの間で戻ってくるというようなかたちで放牧しています。
最初は施工が嫌で、真ん中釘みたいなかんじで外側しかやってなかったんですけども、これをずっと続けることによって、毎日必ず草地を歩くようになりました。面倒だからやめろと言われてたんですけど、わりとすぐなんで、いいんだなんていいながらやってるんです。毎日必ず草地を歩くっていうのは今思うと非常に役に立ってます。毎日歩いて、草を見て、だいたい草の状態がわかるようになりました。これは、牛を管理する上では非常に役にたっています。
それで、春早くっていうのは、ボッコを大きく区切ります。最初は区切りがなく、1つの状態で2、3週
間ずっとはなしてます。それで、6月、7月というのはなるべく再生力もすごく強いんで、ボッコのスペースも1つ箱小さくなります。それで、8月、9月、10月というのは再生力も鈍ってくるので、少し大きくなるんですけれども、雨や気温なんかにすごく左右されるんで、そのときによってボッコを大きくしてみたり逆に小さくしてみたり、いろいろやりながら、餌の量を見ながら毎日繰り返しています。

<共進会>
ショーっていうのは大変体力的にはきついんですけども、牛の良し悪しっていうのは別にして、ショー仲間が家に集まって楽しむと、子供たちも楽しんでくれて非常にいいことかなぁという風に思います。


<経営における将来構想>
経営における将来構想っていうのは、とりあえず何もないですね。規模拡大もそんなに考えてないし、多角経営も考えてません。あと、粗飼料っていうのは、今コーンサイレージである程度と、乾燥でやってるんですけども、もし条件が合えば乾燥一本でやってみたいなっていう気持ちは持ってます。


<ゆとり>
ゆとりって自分でたいしてあると思ってないんですけども、特別どっかに家族で行くわけでもなく、ないんですけども、なんとなく天気のいい日は、突然、牧草やりながらでも、ちょっと野球やろうって風に楽しむようにはしてます。それで、結果だけ、できた姿だけを求めるんではなくて、経過を楽しめるように考えてるんですよね。途中経過っていうか、をみんなでこう、いろいろどうしたいこうしたいっていう部分で、楽しめるように考えてやってます。でもなんか子供たちもちょっと一緒に楽しんでくれてるなっていうのをすごく感じています。結果はまぁ二の次かな。結果よりも経過っていうのはすごく楽しいこと、それを楽しくどうしたら楽しく過ごせるかっていうか、どう楽しくなるかというのを考えながらやってます。


<自宅>
これは、何年か前に建てたんです。この家を作るにしてもテーマを自分、嫁さんと一緒に作りまして、設計したんですよね。テーマが「古い学校」って作ったんですけども、非常にこの図面作りも楽しみました。何をやっても楽しめるようには工夫っていうか、考えています。まわりからは、時間がいつでもあるように見られているんですけども、実際はないんですけども、いいよねって言われることはときどきありますね。

ばらばらな話で、ほんとにまとまりもなくほんとにあれだったんですけども、こんなところで終わらせてもらいます。どうもありがとうございました。


(干場先生)
貴重な話をどうもありがとうございました。百瀬さんらしい、全然気張らない話をしていただいて、ほんとにどうもありがとうございました。みなさん、どんなことでもかまわないですので何か質問があったらしてみてほしいと思います。何かありませんか?
(質問)
今北海道の乳検の平均は、乳量が8,500で、濃厚飼料が3tちょっとなんですよね。それから見るとあきらかに少ない濃厚飼料で、1万kg搾ってるということになるんです。それで、今の乳量の水準でこれからもいこうとされてるのか、もうちょっと改善されようとしてるのか、そこらのお考え聞かせていただければ。
(回答)
あえて伸ばそうとかは一切ないですけども、どうしても放牧しちゃうと、高タンパクになってしまうんで、牛の状態を見ながら、抑えて、無駄な窒素も捨てることのないように、っていう風に考えてると、最低限今くらいのレベルの乳量が牛にとって必要かなっていう風に考えています。だから将来的にどうなるかわかんないんですけど、あえて搾ろうという感覚はないです。それをやらないと、ピークの牛がどんどん痩せていくのが明らかに目で見えるんで、あんまり痩せるのはかわいそうかなっていう感覚なんです。
(干場先生)
こだわりを持たないから特別なことじゃないっていう風におっしゃってましたけど、こだわりを持たないというのは実はすごく難しいことかなっという風に思うんですよね。だから、こだわりを持たずにすんでるのは、違う世界のものを見てたというところがすごくあるなと思います。だから自分に合ったやり方でやってこられています。これは実はほんとはなかなかできないことです。みなさん農家の出身の人もたくさんいて、卒業したら自分のうちにすぐ戻ろうと思ってる人もたくさいると思うんですが、それを無理やり変えるわけじゃないんだけど、ちょっと違う世界を見てみると、またすごく違った自分のスタイルを作ることができるのかなっということを、今日百瀬さんの話聞いて感じました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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